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あたしの向こう

言葉で心を動かしたい 女子大生のブログです

ノスタルジックはたまにでいい。

 

大学からの帰り道、

家のすぐ近くの商店街に、なにやら赤い光がたくさん見える。


そして、尋常じゃない数(普段比)の人の波。

 

商店街のお祭りだ。


21時ごろだったのでだいぶ終盤に差し掛かっていたけれど、
お祭りならではの浮かれた空気と賑わいは、まだそこらじゅうに漂っている。

 

金魚すくいや射的などのささやかな露店もちらほら目につくが、
夜店の大部分は商店街のお店が出しているものだった。


立ち飲み居酒屋が揚げ物とビール、
カフェがコーヒーやジュース、
チョコレート専門店がいちごチョコ、といった具合。店先で売っているあの感じ。

そのほかにもわたがしやおもちゃやポテトなど、
子どもが間違いなく飛びつくやつが目白押し。

 

家族づれはもちろん多くて、制服姿の高校生もちらほらいたけれど、

圧倒的に多かったのが、小学生&中学生のグループだった。

 

わかるーーー!って思った。

地域のお祭りって、小・中学生にとっての一大イベントやもんね。

 


おもちゃの剣を振り回しながら走っていく男の子たちや

真っ黒に日焼けしててもちろん化粧っ気もないけれど
「あー、めいっぱいのおしゃれしたんやなあ」ていう女の子たちを目の当たりにして、


年間360日くらい部活に明け暮れていた中学生の頃
地域のお祭りによく行っていたことをふと思い出した。

 

夏になると、学校近くの神社や公園に夜店が並ぶささやかなお祭りがいくつかあった。

 

お祭りなら、部活終わりでもいける……!


とにかく娯楽とおしゃれをする機会に飢えていたわたしたちは、
部活終わりに一旦帰って着替え、こぞっておしゃれしてはそんなお祭りに行っていた。

 


無駄に食べる。

とにかく食べる。


使う機会がないために、持て余していたおこづかいでここぞとばかりに買い食いし、

ぬるい夜の中で輪になっておしゃべりしたり、

知り合いを見つけるたびに、きゃーって走り寄ったりして。

 

当時好きやった男の子も来てて、

話しかけられないわたしの代わりに、
友達が隠し撮りしてくれたりしたなあなんていう
ちょっとアレなエピソードもふと思い出した。

 

帰ったあと、買ってもらったばっかりの携帯で一生懸命メールしたりして。

その人からの着信だけ、ディスプレイの表示色と着信音を変えたりして。

 

赤やったわー。

EXILEやったわーーー。


とか、今でも覚えてるもんですね。鳥肌。

 

 


ともあれ、

地元のお祭りならではのノスタルジックな雰囲気あふれる空間であった。


地域も規模も違えど、

あの空間に流れる独特な空気感って、やっぱり似通ったものがあるんやな。


商店街、全然まだまだ現役やんって思ったよ。

 


ただ、わたしが商店街を通ったのはノスタルジーを感じるためじゃなくて、

その先のスーパーで晩ごはんを買いたかったからなんやな。

 

まあそんな気はしてたけど、
なんっにも残ってないですよね。


そして店内に溢れる中学生に辟易し、
何も買わずにすぐ飛び出した。

 

商店街とは反対の道を通り、

リアリティを噛みしめながら帰路につきました。

 

ノスタルジックはたまにでいい。

 

そんな日もある。

 

自他ともに認める、絶望的な方向音痴である。


目的地は行き慣れている界隈のど真ん中、
自宅から自転車で15分もかからない場所である。

さすがに行けるだろうとは思ったが、地理に関してどれだけ自分が信頼できないかは自分が一番よく知っている。


というわけで、

絶大な信頼を寄せているGoogleマップと首っぴきで自転車を漕ぎ出した。

 


ここ京都で暮らして、2年が過ぎた。


さすがにわかる。

家を出て右と左どっちに曲がればいいのか、
街に出るには大体どの方向に進めばいいのか、私にはもうわかるのである。

と、それだけで誇らしくなってしまうあたり、
自分がどれだけ無能か露呈してるようなもんである。

 

今日も今日とて、
よし右に曲がってバイトに行くのと同じ道を進めばいいのね、ということは地図を見ただけでわかった。

わかるぞ私、すごい、と思っていた。


とはいえ数えきれないほど道に迷った過去があるため、ちょっと進むとすぐ不安になってしまう。

 

するとどういうことが起こるかというと、

Googleマップの示す道を忠実に守ることに必死になり、目的地を完全に見失うのである。

 

はたと気づくと、自分がどこにいるのかわからない。


お店の予約時間はもう過ぎている。

耐え難い屈辱を感じながら「すみません、道に迷ったので遅れます…」というメッセージを送信した。

 

信号が青になったが、渡るべきなのかわからない。

横断歩道を目の前にして、懸命に携帯をくるくる回す(マップに表示された矢印の向きを確かめる)私を怪訝な目で見ながら、人々は通り過ぎてゆく。

 

途端、私の混乱が伝染したかのようにむちゃくちゃな方向を指し示し出すGoogleマップ


いや勘弁してよ………!

あなただけを頼りにここまでやってきたんやで!?


と、パニックになりかけて必死であたりを見渡すと、

なんてことはない、いつも通っている交差点の目の前なのである。

 

はい。


よしわかった、もう大丈夫!と思いつつも、やはり頭は依然動揺していたのであろう。

 


気を取り直して進みだしたその直後、


歩道わきのポールと乗降中のバスに挟まれ、にっちもさっちもいかなくなっておろおろしてしまい、
バスの運転手さんに「そこの自転車ちょっと離れてください」とマイクで言われるわ、


さらに輪をかけておろおろしながら自転車を押して進もうとすると、
警備のおっちゃんに「この通りは自転車通行禁止ですよ」と冷ややかに言われるわ。


いや知ってる、ここ自転車通ったあかんのめっちゃ知ってるし悪気なんて一ミリもなくて、ただ目的地にたどり着くのに必死でGoogleマップさんの指す方向を進んだらこの通りに出てしまったんです……!


って思ったけど、
どうみても100パーセント私が悪いのは明白なので「すみません」と小声で謝ってすり抜けた。

もう穴があったら飛び込みたかった。

 

まあなんとか目的地には無事辿り着き、

めっちゃ知ってる界隈だったので
帰りは余裕ですいすい行けて。


(いやー、はじめは来た道を帰ることすらままならんかったのになあ。
地図見んでも帰れるって、やっぱ成長してるわ私)


なんて頭の中でほざきながら、授業を受けるため大学へ。

 


英語の授業でした。

はじめの30分くらいでドキュメンタリーちっくな映画を見るんですが、

 

ねむい…………

あかんねむい…………


で、気づいたら寝てて。

 

端っこから順番に当たってく授業なんですが、

今日私の列が当たる日で。

 

やばい、すっかり忘れてたしいっこも予習してへん…と焦ってテキストを開き、


急いで単語を調べようと電子辞書を開いたら、

「電池がありません 交換してください」

 

うーわ、まじか。

 

映画みてたらある程度内容わかってたはずやのに、
のんきに寝てた自分を心底呪った。

 


寝ぼけた頭を必死で叩き起こそうとするも、


あかん、もうすぐ当たるやばい……!

ていう焦りで全然働かへん。

 

「はい、じゃあ次」

 

きた………無理やねんけど。

 

案の定、めっちゃ簡単なはずの英文に対してとんちんかんな回答を繰り広げ、


「そんなこと、どこに書いてるの?」と、
100名弱の受講生の前ですぱんと切り落とす無情な先生。

 

いや、予習と辞書の電池交換も忘れたうえ、すやすや寝てた自分が100パーセント悪いねんけどな。

まあ穴があったら飛び込みたかった(本日2回目)。

 

 

あーーー、
なんか今日もうあかん日な気がする。

(「自業自得」の4文字が頭にちらついたのは言うまでもない)

 

そういえばまだごはんを食べていなかったので、

よし、お気に入りのパン屋さんでパン買って帰ろう!
と気を取り直し、学校をあとにした。

 

パン屋さんに到着し、

散々まよっておかずパンを選んだあと、
ふと目に留まったのはクリームパン。


普段まず選ばないのだが、今日はなんだか無性にカスタードが食べたくなった。

 

よし、君に決めたぞクリームパン。


さっきまでの憂鬱はどこへやら、
いい匂いのパンたちを手に、るんるんで帰路に着いた。

 


お惣菜パンをすいすいとたいらげ、

お次はお待ちかねのクリームパン。

 

一口かじると、想像以上に生地がもっちりとしている。

ふわふわを想像していたので、
「もちもち食感」を愛してやまない私にとって、これは嬉しい誤算だった。


きめ細やかな断面。
これにとろんとしたカスタードクリームなんて…!

と、想像するだけで気持ちが高ぶった。

 


まだかな、


まだかな、カスタード。

 


…おかしい。


三分の一以上たべたのに、依然カスタードが顔を見せないのだ。

 

 

これは、


もしや、

 

と、嫌な予感に駆られながら

おそるおそる、パンを手で半分に割る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まっしろ!!!!!

 

うそやん!

カスタードのかけらも見当たらない!!!

 


きめ細やかなもっちり生地が、

どこまでもまっしろに続いていた。

 


呆然とする反面、

やっぱりね。なんか、そんな気はしてた。

 


クリームなしのクリームパンに幸あれ。


ああ、明日はいい日になりますように。

 

こんなに早く夏が来る

 

待ちに待った季節が、今年もやって来た。


そう、愛してやまないaikoのライブツアー
Love Like Rock 8!!!

 

参戦は、昨日でなんと14回目でした。

にも関わらず、この日のためにわたしは生きてきたんかもって、毎回飽きずに本気で思う。

 

嬉しいことにわりといつも席運はいい方で、
今回も花道中央の2列目を守り通すことができました。

目の前にaiko。もうダイレクトにaikoやった。

 


そして、

大阪2日目にしてまさかのトリプルアンコール!


最終日さながらの熱気がすごかった…!

明かりがついてアナウンスが流れてもなお食い下がるあのしぶとさ、
やっぱ大阪やなあと思いました。笑


aikoも言うてたけど、カウントダウンライブ思い出したなあ。

 


開演前に涙ぐむ癖がどうにもなりません。


ああ、もうすぐで手の届きそうなこの距離にaikoが…!

あの特別な空間をまた味わえるなんて…!


ってこみ上げる想いに、今でも毎回耐えかねる笑

 


照明が落ちて歓声があがる開演直前、
あの瞬間の、あの高まり。

まぶしい光に浮かぶあのシルエット。

 

ライブの空間が、本当に本当にたまらなく好き。

チカチカ 12色の光がライブハウスの中を回る。

 


一階はオールスタンディングだから、
隣の人との距離なんてあったもんじゃない。

ゼロ距離どころかむしろマイナス。食い込みまくり。

 

体温と興奮の入り混じった異様な熱気で酸素が足りなくて、息をするのさえも苦しい。


前の人の頭にぶつかって跳ね返る自分の吐息が熱くて、

自分と他人の汗で全身びっちょびちょで、

隣の人の肘が膝が肩が体にめり込んできて、

一度上げたら下ろすこともままならない腕が痛くて、

一瞬でも気を抜いたら崩れ落ちそうになるところを、気力で踏ん張ってる感じ。笑

 


でも、その先にaikoがいる限り。

限界なんて、嘘みたいに軽々と超えていける。


首が痛くなるほどめいっぱい見上げた先には、
だってaikoがいるんやもん。

 


何回行っても信じられない。

焦がれるほどに大好きな人がいま、
手の届きそうな距離にいる。

 

きらきら流れ落ちる汗があまりに綺麗で、

はかないくらいに真っ白な肌がまぶしくて、

揺れる毛先も細い手首も、
ふわふわ漂うワンピースも甘い香りも、


何もかも愛しすぎて、
もうこの人の存在そのものが奇跡やんって思う。

 


わたしたちが突き上げた腕のシルエット越しに、
交差するライトに照らされたaikoが見える。


あの景色が本当に好き。
絶対に忘れたくない。

 

 


ライブに行くたび、新しい気持ちで歌を受け止めることができる。


今まで気づかなかった魅力にはっとさせられて、
知ってたはずの曲が全然違う表情を見せる。

 

今回、中でも特に聴けてよかったなと思ったのが

「キスが巡る」
「なんて一日」
「夏バテ」
「雨踏むオーバーオール」
「微熱」


かなー。

あと、最後のアカペラの「夏服」。


いや全部なんやけど!
ほんまにもっともっと全部なんやけど!!!

 


作った時のエピソードと一緒に届けてくれた曲は特に、
ライブのあとも残り続ける気がする。


今回それが「雨踏むオーバーオール」でした。

 

今のわたしと同じくらいの年のときにできた曲なんやって。

届きたくて背伸びして、
好かれたくてたまらなかった。

 

「微熱」がほんまに、大好きで。

音源に入ってる秒針の音がないぶん、
イントロのピアノが際立ってた。


2番のあとの間奏が一番ぐっとくる。
息をするみたいに涙が流れた。


しあわせすぎて苦しさすら感じるような、

軽やかなようで、この上なく濃密な時間が詰まってる曲やと思う。

 


心の底から歌を愛して
心の底からファンを愛してくれてるからこそ、

こんなにも歌に愛されて
こんなにもファンに愛されてるんやなあ。

 

はかり知れずaikoに魅せられ続けてる、

あなたは近くて遠い人。

 

目を見て、だいすき!って言えて良かった。

目尻で優しく笑ってくれた。

 

 

今日も余韻でひたひたです。


今年も燃え尽きる……!

蜜蜂と遠雷

 

読み終えた時に感じたのは、

なんとも言えぬ深い歓びと

負けず劣らず、どっしりとした疲労感だった。

 

蜜蜂と遠雷」/ 恩田陸


直木賞本屋大賞の史上初ダブル受賞に輝いた、
言わずと知れた話題作である。


芳ヶ江国際ピアノコンクールを舞台にして、

才能も出場動機もまったく異なる出演者のピアニストたちにスポットを当てながら、長丁場のコンクールを走り抜ける。

 

そう、「読んだ」という感想では到底表せない。


出演者や審査員とともに激戦のコンクールを経験したような、

まるで自分が苦楽を共にした仲間か、存分に音楽を味わった聴衆であったかのような錯覚を覚えてしまうのだ。

 


蜜蜂と遠雷」は、500ページ超の大作だ。


手に持った時のずっしりとした重みにわくわくする。

ちょっと手を離せばすぐにページが閉じてしまうから、
片手間に読むことは許されない。

 

満腹必須であるボリュームの中には、

コンクール期間の濃密な時間や
繊細な感情の揺れ動き、

のびやかに広がる雄大な景色、


そして音楽への惜しみない愛がたっぷりと詰め込まれている。

 

これからこの本を読む人には、ぜひまとまった時間を作って一気に読むことをお勧めする。

出演者と共に、コンクールを終えた感慨を味わえること間違いなしだ。

 


作品に出てくる出演者は、色彩豊かな粒ぞろいの天才たちや、死に物狂いで練習してコンクールに臨んだ努力家だ。


その人たちの、演奏風景の描写がすごい。

 

「弾いている」のではなく、
ピアノに「弾かされている」かのような一体感。


呼吸するような自然さで音を鳴らし、

音楽と溶けあいながら、ピアノとじゃれあうように演奏し、

まるで生きる歓びを体現化しているかのよう。

 

あんなふうに、自分もピアノを弾けたなら。


見ていないのに、聴いていないはずなのに、
そう思わずにはいられなかった。

 

見たことのない世界を創り出す。


それは作品の中で演奏する音楽家たちの姿でもあり、

また、読者が見たことのない景色を文字だけで鮮やかに描き出す、作者そのものの姿でもあるのだと感じた。

 


エントリーから本選まで、
コンクールの構成に沿って物語は展開されてゆく。


第二次予選の結果発表の場面では、誇張でなく手に汗が滲んだ。
紙のブックカバーが湿ってよれてしまったほどだ。

 

結果が知りたい。

誰が第三次予選に残ったのか、早く知りたい。

 

逸る思いにいったん目を閉じて深呼吸をし、

間違っても一段先に目をやらないよう、
細心の注意を払いながら読み進めていく。

 


あの胸の高鳴り。

えも言えぬあの興奮。

拭えない不安。


まぶしい景色には、既視感があった。


わたしは、この光景を知っている。

滑稽なほどに緊迫と高揚が入り混じり、
今にも笑い出しそうな、泣き出しそうな、あの空気。

 

どきん、と胸が鳴る音がした。

その先で涙したのは、私がどこよりも共感を得た場面だった。

 


先が気になるあまり、ちょっとでも気を抜くと、すぐ表面だけをなぞって上すべりに文字を追ってしまう。


これではもったいないと何度も我に返り、時には少し戻って読み返しつつ、

一つひとつの言葉にじっくりと向き合って咀嚼していった。

 

曲の中に無駄な音なんて一つもないように、

物語の中にも無駄な言葉なんて一つもないのだと、強く思った。

 


音楽は美しい。

ピアノは素晴らしい。

音楽って、なんて楽しいんだろう。


ピアノを弾いてきて良かった。

コンクールに出場して良かった。

 

作品の中では、語り手を変えて何度もなんども、音楽への賛辞が述べられている。

それと共に生きてきた、そしてこれからも共に生きてゆく、自らへの祝福も込めて。

 

 

世界は、音楽で満ちている。

 

いつも通りのマイペースな咀嚼が刻んでいるのは、
口の中の食べ物だけではない。


時には加速や減速もするけれど、そこにあるのはテンポ80の確かなリズム。

日常に息づく音楽の一部なのだ。

 

パーカーに袖を通す時の衣擦れの音、

髪をかきあげたときのしゃらりとした感触に似た音、

木のスプーンと陶器の器がふれあう
濁ったレのようなやわらかい音、

開け放した明るい窓からこぼれてくる、
これはいったい何の音だろう。

 

どうして今まで気づかなかったのだろう。

世界は、こんなにも音楽で満ちている。

 


世界に満ちた音楽と、

音楽に満ちた世界に祝福を。

 

こんな世界に生まれ落ちることができた、
私たちの幸運はなんたるものか。


音楽と出逢い、音楽を愛することができる
すべての人に、祝福を。

 

「スープクレンズ」ってまず響きがオシャレやと思う。


ケーキにドーナツ、パンケーキ、
もはや酸素と化しているチョコレートや
クリーム増量版のフラペチーノ。


コンスタントに摂取し続けている甘いものに加えて

お昼ごはんはドリアやパスタ、
バイトの夜はこってりとしたまかないを食し、


友達と約束があれば、揚げ物やお肉や甘いお酒をたっぷりと。

 

ふとした瞬間、ショーウィンドウや電車の窓ガラスに映る自分の顔の丸さに愕然としては

インスタグラムや街中で見かける、ほっそりとしたかわいーーーい女の子に目を奪われるそんな日々。

 

このままじゃいかん。


もうすぐaikoのライブやし。

ちょっとでも顔とお腹をシュッとさせたい。

 

強くそう思ったわたしは、
スープクレンズなるものをやってみることにした。


ダイエットの知識だけは非常に豊富なので、
短期集中やったらこれや…!と思いつくのに時間はかからなかった。

 


スープクレンズとは。


2日間、にんじん・トマト・セロリ・玉ねぎ・ピーマン・キャベツで作ったスープだけを食べ続けるというもの。

それ以外のものを食べたらだめで、
飲み物は、お水か無糖のコーヒー、紅茶だけ。

(他にもいろんな方法があるみたいですが)

 

幸い、2日間バイトも予定もない。


これは絶好のチャンスではないか。

いや、むしろ今やらないと絶対にだめだ。

 

満腹で帰宅した昨夜、そう決意して眠りについた。

 

 

そして迎えた、スープクレンズ1日目。


スープの材料がないため、始めるにまず買い物に行かなくてはならない。

しかしめんどくさい。

 

ので、とりあえず空腹を我慢することにした。

 


おなかすいたなあ……。


そこへ絶妙なタイミングで始まるヒルナンデス。

 


おなかすいたなあ……。

 


気がつくと、一口ドーナツを食べていた。


いや、違う違う違う。


そう思いながら、なぜか勝手に手と口が動き
チーズとチョコレートも食べていた。

 

一応チョコレートはカカオ72%のやつやねんけどな。

いやいやそれにしても始める前から大幅にルール無視しすぎやろ。

 

スープ「だけ」食べるって、そのスープがないんやし。しゃーないし。


と、ひたすら自分の都合のいい方に思考が進み始めたので、
(そして依然外に出る気力はなかったので)


とりあえず寝ることにした。

 

食べ物に手が届かないロフトにあがって
本を読みながらうたた寝をして目覚めた後、

ようやく買い物に出かけることに成功した。

 

材料さえ揃えば、作るのはめっちゃかんたん。

(材料そもそも揃ってへんねんけどな。
ピーマンきらいやから入れてへん。)


刻んで、煮込んで、はいできあがり。

いただきます。

 

うんまあ、普通に美味しい。

おいしい、んやけど、

作ってるそばから頭をもたげていた思いが、食べ進めるごとにどんどん大きくなっていく。

 

もっちりした食感とか。

とろけるような脂とか。

濃厚な舌ざわりとか。


わたしが愛してやまない、それらのものがここには皆無なのだ。

 

スープもおいしいよ。

だけど。

でも、、、!

 

普段いかに、食べるということに情熱を注いで生きていたのか、改めて思い知った。


おいしいお菓子とコーヒーをお供に本を読むのが、
わたしの最高の至福やねん…。

 


でも、かわいくなりたいし。

シュッとした顔になりたいし。

 


とりあえず、明日もがんばります。

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コンビニでホットスナックを吟味するタイミングがわからない件

 

夜にパンケーキを食べにいく約束をしているので、
お昼はサラダで軽く済ませようと思った。(女子)

 

コンビニに行き、ざっと全体を眺めたあと
「半熟玉子と蒸し鶏のサラダ」を手に取る。

ゆで卵はちょっと苦手なのだけど、
まあいいとしよう。


それよりも気になったのが、蒸し鶏の量である。

異様に少ないのだ。
申し訳程度にファッ…と載せられているだけ。

商品名に入れていいん?ってくらい。
もはやトッピング。


ていうのはちょっと言いすぎたけど、
大部分がキャベツの千切りで埋め尽くされていて
到底わたしの胃袋がこれで満足するとは思えない。


なので、レジの横にあるホットスナックを何か買おうと思った。

あんまり買ったことないけど、
確か揚げ物以外にも色々あったはず。


どれにしようかな、と思い
レジから少し離れたところで眺めていると、


「どうぞーっ!」


威勢のいい声でレジのおばちゃんに呼ばれる。


いや、見てるねん。
今見てるねん。

お会計の人と間違われんようにわざわざちょっと遠くから見てたねん。
頼むからもうちょっと待ってくれ。


だから、軽く会釈して引き続き吟味を試みた。

 

しかしその直後、


「どうぞーっ!!」

 

なんでなん。

ちゃう。今じゃない。
ファミチキとか見てるねん。

ほんで、まだファミチキしか認識できてないねん。やからもうちょっと待ってくれ。


と思いましたが、
結局すごすごとレジに向かいました。ああ敗北感。

 

勿論、なにも買えず。

だってファミチキしかわからんかったもん。

 

ホットスナックを選ぶタイミングっていっつも困る。


「今日は絶対ファミチキたべよ!!」

って決意して入店した日くらいしか買えへん。

 

だって見てたらレジの人に見られるから嫌やし、

なんにせよ人一倍選ぶの遅いからもたもたしてまうし、

ちょっと離れたとこで見てたら今日みたいなことになるし。


店員さんがおらん夜中は絶好のチャンスやけど、
まあ夜中にホットスナック食べへんやん。

 

困るわー。

むしろレジに人が並んでる方がゆっくり選べるからありがたい。


そういうわけで、お昼ごはんはサラダとおみそしるっていう質素なものになりました。

 

まあ、足りるわけないよな。

ほんで今、ダース(ビスケットクランチ)を食べています。もうなくなりそう。

本末転倒感がすごい。あーあ。

 

ホットスナックって
どうやって吟味したらいいんですか?

 

型破りバレンタインの話。

 

小学生の頃、よく物語を書いていた。


読むだけでは飽き足らず、好きな本をノートに写したりするうち、
自分でも物語を作りはじめたのである。

 

はじめて書いたのは多分小学2年生ごろで、

読み始めた「ちゃお」の見よう見まねで恋愛ものを書いてみたり、
(「道端で出会った二人はそのまま、長いこと抱き合っていました」っていう一文、今でも覚えてるわ。どういう状況やねん。笑
ませてるわりにどうしていいかよくわからんかったんやろな。)

家族が旅行に出かけてる間に
その家で飼われてる動物みんなで家出する話とか、

主人公の友達が死んじゃった話とか書いてた。笑


一回だけ文学賞の一次審査を通過したことがあるけど
ほとんどはただノートに書きつけているだけのもの。

思いつくたび勢いよく書き出すはいいものの
たいていすぐに飽きてしまい、ぱたりと途中でやめてしまっていた。

次の話を思いついては書き出し、途中でやめてのくり返し。

 

そんなわたしだったのだが、文学賞に応募した以外に
なんとかがんばって物語を完成させたことがある。

 

あれは、小学6年生の時のバレンタイン。


その時、わたしには好きな男の子がいた。

バレンタインデーに、チョコレートを渡したい。
でも、告白するのは絶対に無理だと思っていた。


そこでわたしは、自分の物語をその子に読んでもらうことを思いついたのだ。

そして、読んでもらったお礼としてチョコを渡そう。
そう決意した。

 

一体全体、どんな思考回路をもってして
その結論に至ったのやら。


そんなん、普通に告白するより
よ……っっっぽど恥ずかしいわ。

と、今なら冷静にわかる。
当時のわたしは何を血迷ったのだろうか。

 

まあともかく、そういうわけで物語を書き上げようと決めたのだった。


絶対、バレンタインまでに完成させる。

その決意は固かった。


鉛筆を握り、食らいつくようにノートに向かった。
物語と向き合い、懸命に言葉を紡ぐ毎日を過ごした。

でも、しんどかった記憶はない。
悩んだこともあったのだろうが、書くのはとにかく楽しかった。

一番仲のいい友達にだけバレンタイン物語作戦を話していたのだけど、
その子がいつも真剣に相談に乗ってくれていたことも
大きかったのだと思う。


今やっていることが正しいかどうかなんて、
多分考えていなかったのだ。

今でこそ一笑に付すことができるけど、
その時はばかみたいに真剣でまっすぐだったから。

猪突猛進型の人間が必死になると、
良くも悪くも、周りが見えなくなるのである。

今でもそうかもしれんけど、、

 

そして迎えたバレンタイン当日。


わたしは作戦通り、無事完成した物語とともに
お礼という名目でお菓子を渡すことができたのである。めでたし。

 


不意に思い出したこのエピソードはともかく、


結局大事なのって根性なんかなあ、なんて

ふと思ったりしたのです。


才能とかじゃなく。

どれだけ愛せるか、
どこまでがんばれるか、
どのくらい楽しいって思えるか。


すぐ言い訳してしまう今の自分にちょっと嫌気がさして、
12歳のわたしに笑われた気がした。


と同時に、奮い立たせられた。


なんかやりたい、ってその「なんか」をやるなら
どう考えても今だと思った。


形にしないと始まらないこともある。

 

いつのまにか、わたしもすっかり大学生らしくなってしまったなあと思う。

良くも悪くも。