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あたしの向こう

言葉で心を動かしたい 女子大生のブログです

コンビニでホットスナックを吟味するタイミングがわからない件

 

夜にパンケーキを食べにいく約束をしているので、
お昼はサラダで軽く済ませようと思った。(女子)

 

コンビニに行き、ざっと全体を眺めたあと
「半熟玉子と蒸し鶏のサラダ」を手に取る。

ゆで卵はちょっと苦手なのだけど、
まあいいとしよう。


それよりも気になったのが、蒸し鶏の量である。

異様に少ないのだ。
申し訳程度にファッ…と載せられているだけ。

商品名に入れていいん?ってくらい。
もはやトッピング。


ていうのはちょっと言いすぎたけど、
大部分がキャベツの千切りで埋め尽くされていて
到底わたしの胃袋がこれで満足するとは思えない。


なので、レジの横にあるホットスナックを何か買おうと思った。

あんまり買ったことないけど、
確か揚げ物以外にも色々あったはず。


どれにしようかな、と思い
レジから少し離れたところで眺めていると、


「どうぞーっ!」


威勢のいい声でレジのおばちゃんに呼ばれる。


いや、見てるねん。
今見てるねん。

お会計の人と間違われんようにわざわざちょっと遠くから見てたねん。
頼むからもうちょっと待ってくれ。


だから、軽く会釈して引き続き吟味を試みた。

 

しかしその直後、


「どうぞーっ!!」

 

なんでなん。

ちゃう。今じゃない。
ファミチキとか見てるねん。

ほんで、まだファミチキしか認識できてないねん。やからもうちょっと待ってくれ。


と思いましたが、
結局すごすごとレジに向かいました。ああ敗北感。

 

勿論、なにも買えず。

だってファミチキしかわからんかったもん。

 

ホットスナックを選ぶタイミングっていっつも困る。


「今日は絶対ファミチキたべよ!!」

って決意して入店した日くらいしか買えへん。

 

だって見てたらレジの人に見られるから嫌やし、

なんにせよ人一倍選ぶの遅いからもたもたしてまうし、

ちょっと離れたとこで見てたら今日みたいなことになるし。


店員さんがおらん夜中は絶好のチャンスやけど、
まあ夜中にホットスナック食べへんやん。

 

困るわー。

むしろレジに人が並んでる方がゆっくり選べるからありがたい。


そういうわけで、お昼ごはんはサラダとおみそしるっていう質素なものになりました。

 

まあ、足りるわけないよな。

ほんで今、ダース(ビスケットクランチ)を食べています。もうなくなりそう。

本末転倒感がすごい。あーあ。

 

ホットスナックって
どうやって吟味したらいいんですか?

 

型破りバレンタインの話。

 

小学生の頃、よく物語を書いていた。


読むだけでは飽き足らず、好きな本をノートに写したりするうち、
自分でも物語を作りはじめたのである。

 

はじめて書いたのは多分小学2年生ごろで、

読み始めた「ちゃお」の見よう見まねで恋愛ものを書いてみたり、
(「道端で出会った二人はそのまま、長いこと抱き合っていました」っていう一文、今でも覚えてるわ。どういう状況やねん。笑
ませてるわりにどうしていいかよくわからんかったんやろな。)

家族が旅行に出かけてる間に
その家で飼われてる動物みんなで家出する話とか、

主人公の友達が死んじゃった話とか書いてた。笑


一回だけ文学賞の一次審査を通過したことがあるけど
ほとんどはただノートに書きつけているだけのもの。

思いつくたび勢いよく書き出すはいいものの
たいていすぐに飽きてしまい、ぱたりと途中でやめてしまっていた。

次の話を思いついては書き出し、途中でやめてのくり返し。

 

そんなわたしだったのだが、文学賞に応募した以外に
なんとかがんばって物語を完成させたことがある。

 

あれは、小学6年生の時のバレンタイン。


その時、わたしには好きな男の子がいた。

バレンタインデーに、チョコレートを渡したい。
でも、告白するのは絶対に無理だと思っていた。


そこでわたしは、自分の物語をその子に読んでもらうことを思いついたのだ。

そして、読んでもらったお礼としてチョコを渡そう。
そう決意した。

 

一体全体、どんな思考回路をもってして
その結論に至ったのやら。


そんなん、普通に告白するより
よ……っっっぽど恥ずかしいわ。

と、今なら冷静にわかる。
当時のわたしは何を血迷ったのだろうか。

 

まあともかく、そういうわけで物語を書き上げようと決めたのだった。


絶対、バレンタインまでに完成させる。

その決意は固かった。


鉛筆を握り、食らいつくようにノートに向かった。
物語と向き合い、懸命に言葉を紡ぐ毎日を過ごした。

でも、しんどかった記憶はない。
悩んだこともあったのだろうが、書くのはとにかく楽しかった。

一番仲のいい友達にだけバレンタイン物語作戦を話していたのだけど、
その子がいつも真剣に相談に乗ってくれていたことも
大きかったのだと思う。


今やっていることが正しいかどうかなんて、
多分考えていなかったのだ。

今でこそ一笑に付すことができるけど、
その時はばかみたいに真剣でまっすぐだったから。

猪突猛進型の人間が必死になると、
良くも悪くも、周りが見えなくなるのである。

今でもそうかもしれんけど、、

 

そして迎えたバレンタイン当日。


わたしは作戦通り、無事完成した物語とともに
お礼という名目でお菓子を渡すことができたのである。めでたし。

 


不意に思い出したこのエピソードはともかく、


結局大事なのって根性なんかなあ、なんて

ふと思ったりしたのです。


才能とかじゃなく。

どれだけ愛せるか、
どこまでがんばれるか、
どのくらい楽しいって思えるか。


すぐ言い訳してしまう今の自分にちょっと嫌気がさして、
12歳のわたしに笑われた気がした。


と同時に、奮い立たせられた。


なんかやりたい、ってその「なんか」をやるなら
どう考えても今だと思った。


形にしないと始まらないこともある。

 

いつのまにか、わたしもすっかり大学生らしくなってしまったなあと思う。

良くも悪くも。

言葉を紡ぐ

 

最近、暇さえあれば
むさぼるように本を読んでいます。


わりと時間(と気持ち)に余裕があるから、
結構たくさん読めていて嬉しい。

いや、気持ちに余裕がなくても読むんやけど。


むしろ追い詰められた時こそ
気を紛らわすために読んだりするねんけど、
その本のことを思い返すと当時の記憶が蘇って
ちょっとしんどくなったりする。笑


ほんとは一冊ずつ記録つけようってずーっと思ってるんやけど、
読書日記はおろか、いつも書名すら控えそびれてしまう。


なので、覚書。

活字の四月。

 

ロードムービー/辻村深月
うさぎパン/滝羽麻子
アーモンド入りチョコレートのワルツ/森絵都
憂鬱なハスビーン/朝比奈あすか
ハニーズと八つの秘めごと/井上荒野
猫泥棒と木曜日のキッチン/橋本紡
輝く夜/百田尚樹


もうちょっと読んだけど忘れてしまった、、

意識してないのに、読んだ場所とか状況は
克明に覚えてるなあ。

 

そして今読んでるやつ。


フランス人は10着しか服を持たない/ジェニファー・L・スコット
ある一日/いしいしんじ
I Love You の訳し方/望月竜馬
君がいない夜のごはん/穂村弘
窓の向こうのガーシュウィン/宮下奈都
帰ってから、お腹が空いてもいいようにと思ったのだ/高山なおみ


あと、料理コラムニスト・山本ゆりさんのブログが
本当にめちゃくちゃ大好きで、
更新されるたび欠かさず読んでる。

とにかく内容が最高におもしろい。
文章もすごく読みやすくて、
きっと頭の回転が速い方なんやろなって思う。

めっちゃおもしろいからオススメです。


昔から、何冊も並行して
本を読んでしまう癖がある。

なんでかな、途中で飽きるというよりは
「今はこっちの気分!」みたいになってしまうんよな。

しばらく間が空くとわからなくなるから、
ちょっと前から読み返すこともしばしば。


つい最近、インスタグラムで有村架純ちゃんがおんなじことを書いてて「それ!」ってなりました笑

 

図書館で借りた本、買った本、
言葉の趣味(はじめて言うた)が、すばらしく合う後輩に借りた本。

手の届くところに置いときたいあまり、
床やらこたつの上やら枕元やらに散乱してる。


本を読むのは大好きやけど、
実は買うことってあんまりない。

もしも買った本がおもしろくなかったら?

再読しないのに手元に置いとくのは勿体ない、と思ってしまう。わたしは。

だから本を買うのは、大抵借りて読んでから。
もしくは好きな作家さんの作品、
もしくは図書館に行くのがめんどくさいとき。笑


かばんの中にはいつも本を。


いろんな作家さんの作品を読んでると
「このへん、あの人に似てるなあ」
とか思うことはあるけれど、

世界観とか言葉のえらび方とか、
やっぱりその人独自の何かがある。


もちろん、だから評価されて
本が世に出てるわけなんやろうけど。


それって、すごいと思うねんな。


図書館や本屋さんで書棚を眺めていると、
たまにくらっと来ることがある。


前にも少し書いたことがあるけれど、

こんっなにたくさんの本があるのにも関わらず
誰のものとも違う作品を確立できてるなんて、
めっちゃすごくない?

わたしも本出したいわー。
世界観確立したいわー。
ぜんぜんみんなじゃなくていいから、
誰かの心に響くものを書いてみたい。

 

でもなにを?

それは模索中です。

でもなんか書きたいな。

心底書くことが好きや。

けど、「やらなあかん」にはしたくない。

我儘な話やな。

一体どういうかたちがあるんやろう。

言葉で心を動かしたい。

 


ブログ更新してくださいよ!なんて
怒ってくれる人がいることを、
心の底から嬉しく思う。なのに、
こんな感じで申し訳ない。笑


かれこれ2ヶ月 頭の中を支配し続けてる
ララランドのこととか、

書きたいことはいろいろあるのに、
なんかうまくまとめられない。


またまとまったら書こう。

 

なんせ、毎日たのしいです。
去年より一昨年より、
今年がいっちばん楽しい。


来月は世界一憧れてる人に逢えるので、
いまからめちゃくちゃ楽しみです。

 

結局、まとまりそうにないから終わります。


気持ちを吐き出しただけみたいな乱文に
最後までお付き合いくださって
ありがとうございました。

 

 

言葉を紡ぐこと。

本を読むこと。

恋をすること。

食べること。

 

それは、わたしの生きる意味。

 

吹いて奏でる楽しさを。

 

「今までで、一番
がんばったことはなんですか?」


そう聞かれたら、わたしは迷わず

「中学3年間の部活です」

って、答えると思う。

 

昨日は、中学の吹奏楽部の
OB・OGジョイントコンサートでした。


開催は今年で7回目。
そして、最後のコンサートになりました。


前後に予定が入ってたことや
ほとんど練習できないこともあって
参加するかどうか迷ってたんやけど、

本当に、出て良かった。

 

わたしの中学の吹奏楽部は、
全国大会を目指していたので
練習が結構厳しくて、
1日休みは年間でも片手で数えられるくらい。

朝練は7時から、
放課後は、下校時刻ぎりぎりまで練習するのが当たり前の毎日。


家族旅行も友達と遊ぶこともほとんどなく、
ほんっとうに部活に生きた3年間でした。

 

高校に進学してからも部活を続け、

でも大学に入って
吹奏楽から離れてしまったわたしが

一年に一度、舞台に立てるのが
このジョイントコンサートでした。

 

まぶしい舞台で演奏できる喜びや
自分の音がホールに響く気持ち良さ、

数々の音が重なってひとつになる楽しさ、

そして、拍手を浴びるときの高揚感。

 

自分の技術は、
当時とは比べものにならないくらい
ひどいものでしたが、、笑

それでも、
どうしようもなく楽しかった。


楽器って、吹奏楽って
なんて楽しいんだろう、って
心の底から思いました。

 

3年間、家族よりも長い時間を
一緒に過ごしたメンバーたちと
また同じ舞台に立てるなんて、

ちょっと信じられないくらい嬉しくて。


一生ものって、
きっとこういうことを言うんだろうなと。

大好きな友達、
だけどそれをはるかに超えたもの。

 


決して綺麗な思い出ばかりではなかった。

仲間内でもめたことも
先生に怒られたことも数知れずあったけど、


うだるような暑さの音楽室で過ごしたあの時間が
とてつもない熱量と濃度を持って、

今のわたしを生かしている気がします。

 


これは毎年恒例なんですが、

アンコールの最後に演奏する曲が、

わたしたちが引退したとき
最後に演奏したのと同じ曲なんです。

 

最後のコンサートで、最後の曲が
現役最後と同じ曲なんて、
なんだか不思議な感じでした。


その曲を、現役時代の恩師が
ゲストの指揮者として振ってくださって。

 

隠すこともなく涙を流す先生の姿に

正面に座る同期の子が泣いているのを見て、

わたしもこらえきれなくなりました。


いつも自分が楽しむために出るコンサートで、
ぜんぜんそんなつもりはなかったのに。

 

泣きながら演奏したのは人生で2回めでした。
1回めは、中3の時に出場したコンテストの時。

デジャヴかなって思うくらい
そのときの光景とあまりにも似ていて。


隣には
3年間を共にした同期の子が座っていて、

あれから5年も経ったことなんて、
思わず忘れてしまいそうでした。

 


音楽って素晴らしい。

吹奏楽って、本当に素晴らしい。

 

あのときの気持ちを、胸の高鳴りを
言葉にするのはとても難しい。

 

最高の指導者と頼もしくて優しい先輩、

大好きな同期とかわいい後輩に恵まれて、

わたしはほんまに幸運やったなあと思います。

 

あんなに大勢で同じ夢を見られることって、
多分この先、そうそうないんだろうな。

 

フルートとピッコロに出逢えたこと、
浜中で吹奏楽ができたことは、

何にも代えがたいわたしの財産です。

 


企画・運営をしてくれた方をはじめ、

聴きに来てくださったお客さん、

楽器の技術を一から教えてくださった先輩方

一緒に演奏してくれた現役の子たちや
OBOGの皆さん、

そして、
ずっと吹奏楽を続けさせてくれた家族。


かかわってくれた全ての人への
感謝がやみません。真面目か。笑


いま、改めて心からお礼が言いたい。

と、思ってしまいました笑

 


吹奏楽のために高校を選んで進学した人

楽器を続けるために大学に行っている人

一旦もういいやってなったのに、
やっぱり楽器で生きていきたい人

わたしみたいに
吹奏楽からは離れてしまったけど、
ずっと大切な存在として胸に留めている人。

 

進む道はばらばらであっても、
それぞれにとって唯一無二のものとして
吹奏楽が残ってて、

というか、自分勝手かもしれないけれど
ぜひともそうであってほしいと思う。

 

吹奏楽に出逢えて、
わたしは本当に良かった。

 

ありがとうございました!


またいつかきっと、
浜中のみんなで演奏できますように。

 

言葉の森を歩く

 

作家の宮下奈都さんとピアニストの金子三勇士さん、
調律師の中谷哲也さんによる、トーク&コンサートに行ってきました。


その名も『「羊と鋼の森」を歩く』。

ご存知の方も多いかと思いますが、
羊と鋼の森」は、2016年本屋大賞を受賞した小説です。


講演会みたいな堅苦しい形式ではまったくなく
調律師が主人公である小説の世界にぴったりで、
とっても素敵なコンサートでした。


宮下さんのトークステージに始まり
金子さんのコンサートステージ、

休憩を挟み、トークを交えながらのピアノ演奏に続いて
中谷さんがステージ上で実際の調律を行うところを見せてくださり、

最後は金子さんから宮下さんへのプレゼント演奏でしめくくる、という

ものすごく盛りだくさんな内容でした。

 

宮下さんのお話で特に印象的だったのが、
羊と鋼の森」が誕生したときのエピソード。


一年間北海道で生活されていたことがあるそうなんですが、

そのとき目にした言葉にできないような美しい景色と
言葉では言い表せない音楽というものが結びつくのではないか、

というところから始まったそうです。


「小説と音楽は切り離せない」

「小説とピアノの親和性がすごく高い」


そう話す宮下さんは、小説に行き詰まるとピアノを弾くそうです。

すると、うそみたいに筆が進むようになるのだとか。


「漫画と音楽はひとつ」

何年もそう言い続けている人の言葉が、ふっとよみがえりました。

「読む」ものである小説や漫画だけれど、
音楽とは切っても切り離せないと、わたし自身もそう思います。


文字、なのに聴こえる。
絵、なのに感じる。

なんて、ふしぎなことですが。

だからこそ難しいし、だからこそ伝わったときの喜びは並大抵のものではないのだと思う。

 


コンサートステージは、わたしたちにもなじみの深い
いわゆる名曲をメインとした選曲でした。

久しぶりに生で聴くプロのピアノ演奏。

 

衝撃でした。

ピアノの音はこんなにも繊細で、
こんなにも豊かに響くものだったのか、と。


朗々と歌うように

ささやくように

語りかけるように

乱暴までに荒々しく

ときに空気をふるわせることすらためらうような優しさで、

ときにびりびりと空気をやぶるような情熱を持ってして。


ここまでして、いったいこの人はなにを伝えようとしているんだろう。

この曲を通してなにを表現して、なにを届けようとしてるんだろう。


曲を演奏し終えることは、一つの作品を仕上げることに似ていると思いました。

ケーキをつくるとか。小説をかくとか。
創作と名のつくすべてに通じるものなのではないだろうか、と。

 

わたしが心を動かされるのは言葉だけではなかった。
音楽が、とても好きなのだった。


想いを伝える手段としての音楽

なんて、胸を張れるほどの技量を持ちあわせているわけではないけれど、
それでも、演奏することの快感や喜びが忘れられなくて。

自分たちの音楽が、誰かに届いた実感を強く得られることがこの上なく嬉しかったから、
ずっとずっと続けてきたのです。

けっして惰性で13年間もやってきたわけではなかったのだ、ということを
激しく思い出しました。

 

心を動かされると、涙が出るのはどうしてか。

感動すると泣くもの、ということを知らなくてもそうなるんだろうか。
こらえきれないこの想いは、なぜ涙になって現れるのか。

そう思いながら、心が震えているのを強く感じていました。


なんか苦しい、と思ってはじめて、息をしていなかったことに気がつきました。

演奏を聴いて、息をすることすら忘れていました。

体温があがり、心臓がどくどくと脈を打ち、
顔が熱くなるのを止められなかった。


演奏自体の素晴らしさはもとより、
もしかしたらそれ以上に、金子さんが演奏している姿に
心を揺さぶられたかもしれない。


魂の一部すら込められてるんじゃなかろうか、
と思わせるほどの熱量で、

髪を振り乱し、渾身の力を込めて鍵盤を叩くその姿に。


超絶技巧の演奏や素晴らしい小説、
宝石みたいにきれいなケーキだって、

わたしと同じ人間の手でつくられたものなのだ
という
当たり前の事実に打ちのめされました。


(例えがケーキと音楽と小説ばっかりやないかってそろそろ思いますよね。それがわたしのだいたい全てです)

 


調律師さんと司会の方も交えてお話されているときに。

ステージにいる全員が、
けっしていやな感じではなく、美しく自信に満ちあふれているのが見てとれました。


三者三様のお仕事ではあるけれど、

それぞれが自分の仕事に誇りを持っていて
かつ実力も兼ね備えている方たちだから、
共通したオーラを感じたのだと思います。


素直に、すごいなあと思いました。

好きなことを仕事にできるのもすごいし、
なによりも、ずっと同じことに情熱を傾けられることがすごい。

わたしにとっては途方もなく長い時間をかけてずっと同じことに向き合い、
それで生計をたて、
かつ今でも「楽しい」とさわやかに笑えるなんて。


わたしもずっと「好きなことを仕事にしたい」と思い続けていたけれど、

最近は、好きだからこそ
「やらなきゃいけない」になるのがこわい。

それを超えて「楽しい」と胸を張れることを、
とてもまぶしく感じました。

 

コンサートが終わったあと、

本を買って、宮下さんにサインをしてもらうため列に並びました。


作家さんと直接お話するなんてはじめてだし、こんな機会きっとめったにない。

そう思うとどきどきして、何を聞こうか必死で頭をめぐらせました。

どこかのインタビューにも載ってそうなことじゃなくて、
この際じゃなきゃ聞けないことを聞きたい、という欲がありました。


ついに順番が回ってきました。

本を手渡すと、宮下さんは
「ありがとうございます」と優しく微笑んでくれました。

緊張してなかなか言い出せず、サインを書き終えそうになったころにやっと、
おそるおそる切り出しました。

 

「言葉で人の心を動かすために、
一番大切なことってなんでしょうか」


考えて考えて、でもやっぱりそれが一番わたしの知りたいことでした。


「誠実に、言葉を選ぶことじゃないでしょうか。
自分の心に、嘘をつかずに。」


と。

 

誠実に。自分の心に嘘をつかずに。

そう答えてくれる方の書く文章だから、
きっと多くの人の心が動かされたのだと思いました。


小説を書いているんですか?と聞かれたから
いえ、でも文章を書くのが好きで、と言うと、

「大丈夫、書けますよ」と、
ふわりと笑って言ってくれました。


とても嬉しかった。

 

好きなことをすきなように、と思って書いても

何か感じてほしい、
表現で魅せたい、
すごいと思われたい、

みたいな、書くのも恥ずかしいような欲が、
ほとんど無意識に出てきてしまうことが多い。

だから、
自分の心に誠実に、というのは
シンプルだけどとても難しいな。

 

ていねいに、誠実に心がけてみました。

そのうえで、何かを伝えることができたなら。

 

コンサート中、わたしはとにかく書きたくて仕方なかった。

いま感じるこの想いを早く形にしたい、と
もどかしいほど強く思っていました。


そう感じさせてくれるものに出逢えることって
とてつもなく、しあわせです。

 

わたしはわたしの、森を歩く。

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枯れずに咲いて。

 

ずっと前から、
やろうと決めていたことが二つありました。


それを、最近立て続けに行動に移しました。

 

そのうちの一つが、
文章を書く仕事をすること。

「webライター」というなんかかっこいい名前のもとで、
アルバイトを始めました。

会社のwebコンテンツに掲載する
文章を作成する仕事です。

 

仕事目的の根底にあるものは自分が抱いてきた想いに通じていたけれど、
実際の業務はまったくの別物で。


指定されたテーマに沿って、
まずは莫大な量の情報を収集し、整理する。

そのうえで、パズルのように情報を組み立て、
順序を並び替え、
よりわかりやすい文章にするために何度もなんども推敲を重ねるのは、
想像以上に難しいことでした。


すきなことを、すきなように書いてきた
これまでとはわけが違う。

でも、それがおもしろくって仕方ないです。


いままで全くと言っていいほど関心のなかった分野での執筆。

すべてが勉強やなあと思います。
難しいけど、とても糧になってる気がする。

 

この前、ある方に言っていただいた言葉が
すごく心に残ってて。


「どんなにいいことを書いてても、
読んでもらえなかったら意味がない」


本当に、その通りやと思いました。

読者の目に止まって、なおかつ役立つ記事でないと、
書いている意味がない。

 

これまではわりと、

「いかに綺麗なことばを使いこなせるか」

「秀逸な比喩ができるか」

「単純でも、心に刺さる表現とは」


みたいなことばかりに
重きを置いていたけれど、

もっと技術的なことにも目を向ければ、
もっとたくさんの人に届けることができるのかもしれないな。


その方法については、日々勉強中です。

ほんまに全部が勉強。

 

こんなに頭使うの受験ぶりちゃうかってくらいで
毎日パンクしそうになってるけど、

貴重な経験させてもらってるなあと思う。


おとなの人、ほとんど社会人ばっかりの中で働けて、
仕事のことも社会のことも垣間見えて、
これまでにはない経験ばかりで、

楽しいです。

 

想像よりはるかに大変なお仕事やったけど、

この間さりげなく向けられた

「きれいな文章ですね」

ていう言葉が、すごくすごく嬉しかった。

 

ぜったい今後
もっともっとしんどくなるんやろうけど、

とりあえず今は、目の前のことに必死で食らいついて、
がんばってみたい。

文章を書くことを仕事にできるって、嬉しい。

 


もう一つのことも、
ちょうどバイトをはじめた時期と重なっていて。

その間ずっと気が張りっぱなしで、
情緒不安定みたいになってたんやけど、まあそれも無事終わり。


折れそうな時ほど、
当たり前みたいに支えてくれる人の存在がこの上なく身にしみて、
本当にほんとうにありがたかった。

ぜんぜん当たり前じゃないんやけど。

 

ゆとりがなくて、ささくれた気持ちすら受け止めてくれたり、

しょうもないことで笑わせてくれたり、

他愛もない話を聞いてくれたり。


とるに足らないような愚痴とか

いいお天気やったねー とか

学食のカレーうどんがおいしかってん、とか

今日夢にaikoが出てきた!とか


そんな些細なことをいちいち報告したくなってしまうのは、
わたしにとって、多分すごく大切な人たちです。

いつもありがとうございます。

 


はい、

最近の毎日はそんな感じです。


バイト掛け持ちって、想像以上に大変やね。

大学生みんなこんなことしてたんか、、
っていう驚嘆でいっぱいです。

 

春休みはたくさん働いて、
たのしいことをたくさんしたい。

一生懸命働いて働いて、
稼いだお金を使うのってきもちいいやろな。


物欲は数かぎりない。。

 


もうすぐ三回生になります。


大学生活 残り二分の一。

いままで以上にあっという間なんやろなあ。


今しかできないことって、
きっとまだまだいっぱいある。

どんどん見つけてやっていきたい。

とりあえず今年は海外に行く。

 


明日もいい日になりますように。

おやすみなさい。

 

いつも旅のなか


エッセイが、好きだ。

特に、日々の営みやよしなしごとを、丁寧に淡々と描いたものが好きだ。


そういうものを、寝る前に2〜3編読むのが至福の時である。
しかし今回久しぶりに、そんなもんじゃ読みやめられなくなるエッセイに出逢ってしまった。

図書館で借りてきてから家を出るまでのわずかな時間に読み、夜家で過ごす時間はそれを読むことに費やし、翌朝も起き抜けの頭でむさぼるように読み続け、そのまま読了した。


いつもみたいに、嗜むように自分のペースで楽しむことなんてできなくて、本当に体まるごと巻き込まれ、持っていかれた感覚である。

300ページ超のボリュームをはるかに上回るほどの熱量が、わたしの意思とは関係なく体内を駆け巡る。しばらくの間、余韻に浸ったまま呆けていたい気分。

 

「いつも旅のなか」/ 角田光代

30回以上にも上るという、自身の旅にまつわるエッセイである。
ルポルタージュのような詳細な記録ではなく、どちらかというとその国や地域のなかで、作者が感じたことの描写に重きが置かれている。そしてわたしは、そういう部分に強く惹かれた。


閑散とした、季節はずれのリゾート地。

泣き出したくなるほど壮大な自然現象。

おびただしい数の剥製や、生々しい人体解剖が展示された博物館。

現地で仲良くなった友達に連れられて遊び回ること。

すさまじいほど「なんにもない」大地。

腐敗臭と物乞いで溢れた世界。

度肝を抜かれるほどおいしいごはん。


どれも、知らない。

見たことがない。感じたことも、出逢ったことも、味わったこともない。

そんなことばかり、次々と溢れ出す。衝撃の連続にちょっと怖気づきながら、それでも憑かれたように読みすすめていった。

 

マレーシアの話。
釣りに誘われ、現地でできた友達にくっついて出かけたはいいものの、朝から晩までその友達の友達と会い続け、ごはんを食べては喋ることの繰り返し。

今日は中止か、と落ち込んでいた深夜一時、「さあ釣りに行こう!」と、満面の笑みで友達は言うのである。

そうして約束どおり、舟を出して釣りに行き、海辺でバーベキューをし、そのまま砂浜に並んで眠ったという。


" 自分がいかに狭い世界で、狭い視野で、狭い部分でものを考えていたか、目から鱗が落ちる思いであった。ひとつのことをするのに十二時間以上待ったっていいじゃないか。食って飲んで友達と話して、それだけで一日を終えたっていいじゃないか。深夜二時過ぎにバーベキューしたっていいじゃないか。"

/『かくも長き一日』より

 


また、1991年に作者が初めてタイを旅した回想の描写も印象的だった。


" 道に放置された動物の死骸を見たことはなく、口にする豚肉が血を流すことも知らず、陽射しの強さも物乞いをする足のない人も知らず、真綿でくるまれたような世界しか見てこなかったと、二十三歳の私は強く思ったのだった。"

/『はつ恋』より

 

こんなことってあまりないのだけれど、この本の最後、キューバの章に載っていた写真から目が離せなくなった。

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なんて、素敵な笑顔なんだろう。この人たちの人柄が透けて見えるような表情に、自分がこの場にいたかのような錯覚すら抱いた。

それまでひっきりなしに文字を目で追い、その遅さにもどかしさすら感じながらページをめくっていたことも忘れ、ひたすら食い入るように眺め続ける。

いいな、なんかいいな、というただそれだけの思いがひたひたと押し寄せてきた、一枚の写真。

 

" 旅することは、数少ない私の純粋趣味である。純粋、というのはつまり、なんの役にもたたなくとも、あるいは損をしたって、好きでいることをどうにもやめられない、というような意味だ。"

/ 『あとがき』より


「よーし、感動させてやろう」なんて、わざとらしい魂胆はちっとも感じられない文章である。
なのに、なんの前触れもなく涙がぽろっと出て、自分でもなんだかわからなくて焦った。
この気持ちは、一体なんだろう。

 


ぜんぜん違う話をします。


わたしからしてみると、こうやってエッセイをまとめて本を出版している人たちは、ものすごく非凡で、特別である。

でもその人たちにとってみれば、それはきっと平凡なことなのだろう。
その人たちの思う非凡は、多分もっと別なところにある、もっと違うことや違う人であって。なんだかうまく言えないけれど。

だから、自分が平凡か非凡かなんて、ふつうか特別かなんて、いくら考えたって仕方がないのだと。決まりきった尺度があるわけじゃない、それは自分じゃ到底計り知れないことなのだ。

少し前までちっぽけなことで悶々としていたわたしに、この本はそう気付かせてくれた気がしている。

 


人生のすべてじゃない。日常生活の中、あるいは非日常の中の、ごくわずかな一片を切り取ったもの。

その刹那に、魅せられずにはいられない。

決してきらきらしたエピソードではなくても、嫌いな自分を露呈するような話でも、なんらかの彩りを加え、一つひとつに意味を見つける。


その上こうやって誰かに影響を与えられるなんて、とてつもなくすごいことだと思うのだ。