わたしらしさに彩りを。

日々のよしなしごとを綴ります。食べることとaikoと言葉をこよなく愛する女子大生。

本を読む ということと、読書日記

 

本屋さんよりも、図書館が好きかもしれない。好きというか、より近しいもののように感じるのだ。


図書館は、物心ついた頃からごく自然に日常に組み込まれている存在だった。わたしと同じく本好きな母の影響である。

ずらりと並んだ本の背表紙に目を這わせる時間が好きだ。めぼしい本を探しながらわくわくする感じも、目当ての本を見つけた瞬間のよろこびも、棚から抜き取って手にした時の確かな重みも、好きだ。

ぱらぱらと数ページめくってから借りるのを決めることもあるし、表紙やタイトルに惹かれて即決することもある。左腕にどんどん積み重ねながら、制限冊数いっぱいまで借りるのが常である。


わたしが好きな作家の共通点は、感情の機微をこまやかに描くことである、と最近気がついた。
圧倒的に女性作家が多い。繊細で、綺麗な言葉をつかうひとが好きだ。

ただ、そればっかり読んでいるとどうしてもその人の文章に引っ張られてしまうので、近頃は得意でない人のものも読むようにしている。

 

ここ3.4日で、たくさん本を読んだ。

「月と雷」 角田光代
「静かにしなさい、でないと」 朝比奈あすか
「少女」 湊かなえ
「ひなた」 吉田修一
「もう一度生まれる」 朝井リョウ
星の王子さまサン=テグジュペリ

まったくの主観と好みと偏見で、思うことをすこし書いていきたい。

もしも気分を害されたらごめんなさい。

 

 

しかし苦手である。朝井リョウ
めちゃくちゃ人気だし、読みやすいし話も面白い。なのにどうにもいけすかないのだ、あの文章。

わざとらしく感じてしまう。内容にはすごく共感できるのに、表現がいちいち癇に障る。わたしもなかなかひねくれているが、まあ、合わないのだろうな。
何度目かのチャレンジであったが、やっぱり無理だった。たまらず途中で読むのをやめてしまったほどである。しばらくしたら、また懲りずに読んでみるんだろうけど。

 

湊かなえの本は中高生の時たまに読んでいたが、手に取ったのは久しぶりである。文章は好みでないが、話がおもしろい。interestingのほうで。

そう来るか、と声に出したくなるようなからくりが、細部にわたって惜しみなく施されている。いつもながら、オチのつけ方は特に圧巻。
個人的には、映像化された時に本領を発揮する気がする。

 

朝比奈あすか。この人の本をはじめて読んだ時はかなり衝撃を受けた。
知らんふりして生きている醜い感情や、認めたくないような本音をあざやかに描き出す。決してわざとらしくなく、真綿で首を絞めるように、じわじわと。

あまりの生々しさに、思わず目をそらしたくなる。なのに、虫歯をわざと噛み締めるように、痛い痛いと思いながら読んでしまうのである。

 

好きすぎるあまり、いま一番読みすぎに気を付けている作家が、角田光代である(多分、今も少なからず影響を受けている)。
訥々と語られる日常。そして、その隙間にこぼれ落ちそうな感情をそっとすくい上げるような言葉の選び方がほんとうに好きだ。

些細な出来事が、光を帯びて輝きだす。

 

語れるほどには数を読んでいないが、吉田修一の本も好きだ。芯があるうえに細部まで丁寧で、力強い。

いちばん大事な部分は、いつも明示されていない気がするのだ。読み切って自分のものにするにはかなりエネルギーがいる。だからこそ、もっと読んでみたい。

 

幼い頃、よくわからなくて途中で投げ出してしまった「星の王子さま」。
大学生協でも展開されているし、大人になってから読んで良かった、とよく話を聞く作品である。
名作であるがゆえに軽々しく感想を言うのも憚られるのだが、まさしく"大人のための童話"であると感じた。

「本当に大切なものは目に見えない」
20年とすこし生きてきて、大切なものに何度か出逢ったからこそ噛みしめられる言葉であった。

 

 

本を読む、ということ。
自分の人生に、新たな物語を取り込むこと。
誰かの人生を、ちょっとだけ生きてみること。


何にも代え難い、至福のひとときである。