運命
外に一人でいるとき、無意識に頭の中で文章を組み立てる癖があることに気がついた。
たぶんすごく変だと思う。
目に映る景色、感じたこと、見えるはずのない自分の歩く姿なんか。
考えて組み立てて、その場限りで消えてゆくものを作り続けている。
もう一つ。
わたしが猛烈に文章を書きたくなるのは、自分の中の強い感情にふれたときだということも、今日はじめて知った。
怒りでも喜びでも興奮でも絶望でも、何かしらの感情が極度に高まったとき、それを形にしたい、しなければという衝動に駆られる。いまこの瞬間の気持ちにはもう二度と帰って来られない、と思うのだ。
きっと明日には忘れてしまうだろう。こんなにも激しく思うことがあるのに、それがなかったことになってしまうのはすごく嫌だ。
生きた証なんて言葉をつかうと仰々しいし恥ずかしいけれど、大げさに言えばそういうことなのだと思う。
感情の軌跡は、わたしが今日を、いまこの瞬間を生きた証拠だ。
方法はいくらでもあるんだろうけど、わたしは言葉で残したい。
何年もそうして積み上げてきた自分の言葉に、救われる瞬間がたまにある。
そうやって、いつまでも自己完結でいるんだろうか。
「無名のままで、生きるのか。」っていう宣伝会議のキャッチコピー、めっちゃいいやんな。ぐさっとくる。
無名のままで、生きるのか。
あとから読み返したら死ぬほど恥ずかしそう。
今日おもったこと。
ああ、思い切り生きた。
毎日そう思えるように生きていきたい。