蜜蜂と遠雷
読み終えた時に感じたのは、
なんとも言えぬ深い歓びと
負けず劣らず、どっしりとした疲労感だった。
直木賞と本屋大賞の史上初ダブル受賞に輝いた、
言わずと知れた話題作である。
芳ヶ江国際ピアノコンクールを舞台にして、
才能も出場動機もまったく異なる出演者のピアニストたちにスポットを当てながら、長丁場のコンクールを走り抜ける。
そう、「読んだ」という感想では到底表せない。
出演者や審査員とともに激戦のコンクールを経験したような、
まるで自分が苦楽を共にした仲間か、存分に音楽を味わった聴衆であったかのような錯覚を覚えてしまうのだ。
「蜜蜂と遠雷」は、500ページ超の大作だ。
手に持った時のずっしりとした重みにわくわくする。
ちょっと手を離せばすぐにページが閉じてしまうから、
片手間に読むことは許されない。
満腹必須であるボリュームの中には、
コンクール期間の濃密な時間や
繊細な感情の揺れ動き、
のびやかに広がる雄大な景色、
そして音楽への惜しみない愛がたっぷりと詰め込まれている。
これからこの本を読む人には、ぜひまとまった時間を作って一気に読むことをお勧めする。
出演者と共に、コンクールを終えた感慨を味わえること間違いなしだ。
作品に出てくる出演者は、色彩豊かな粒ぞろいの天才たちや、死に物狂いで練習してコンクールに臨んだ努力家だ。
その人たちの、演奏風景の描写がすごい。
「弾いている」のではなく、
ピアノに「弾かされている」かのような一体感。
呼吸するような自然さで音を鳴らし、
音楽と溶けあいながら、ピアノとじゃれあうように演奏し、
まるで生きる歓びを体現化しているかのよう。
あんなふうに、自分もピアノを弾けたなら。
見ていないのに、聴いていないはずなのに、
そう思わずにはいられなかった。
見たことのない世界を創り出す。
それは作品の中で演奏する音楽家たちの姿でもあり、
また、読者が見たことのない景色を文字だけで鮮やかに描き出す、作者そのものの姿でもあるのだと感じた。
エントリーから本選まで、
コンクールの構成に沿って物語は展開されてゆく。
第二次予選の結果発表の場面では、誇張でなく手に汗が滲んだ。
紙のブックカバーが湿ってよれてしまったほどだ。
結果が知りたい。
誰が第三次予選に残ったのか、早く知りたい。
逸る思いにいったん目を閉じて深呼吸をし、
間違っても一段先に目をやらないよう、
細心の注意を払いながら読み進めていく。
あの胸の高鳴り。
えも言えぬあの興奮。
拭えない不安。
まぶしい景色には、既視感があった。
わたしは、この光景を知っている。
滑稽なほどに緊迫と高揚が入り混じり、
今にも笑い出しそうな、泣き出しそうな、あの空気。
どきん、と胸が鳴る音がした。
その先で涙したのは、私がどこよりも共感を得た場面だった。
先が気になるあまり、ちょっとでも気を抜くと、すぐ表面だけをなぞって上すべりに文字を追ってしまう。
これではもったいないと何度も我に返り、時には少し戻って読み返しつつ、
一つひとつの言葉にじっくりと向き合って咀嚼していった。
曲の中に無駄な音なんて一つもないように、
物語の中にも無駄な言葉なんて一つもないのだと、強く思った。
音楽は美しい。
ピアノは素晴らしい。
音楽って、なんて楽しいんだろう。
ピアノを弾いてきて良かった。
コンクールに出場して良かった。
作品の中では、語り手を変えて何度もなんども、音楽への賛辞が述べられている。
それと共に生きてきた、そしてこれからも共に生きてゆく、自らへの祝福も込めて。
世界は、音楽で満ちている。
いつも通りのマイペースな咀嚼が刻んでいるのは、
口の中の食べ物だけではない。
時には加速や減速もするけれど、そこにあるのはテンポ80の確かなリズム。
日常に息づく音楽の一部なのだ。
パーカーに袖を通す時の衣擦れの音、
髪をかきあげたときのしゃらりとした感触に似た音、
木のスプーンと陶器の器がふれあう
濁ったレのようなやわらかい音、
開け放した明るい窓からこぼれてくる、
これはいったい何の音だろう。
どうして今まで気づかなかったのだろう。
世界は、こんなにも音楽で満ちている。
世界に満ちた音楽と、
音楽に満ちた世界に祝福を。
こんな世界に生まれ落ちることができた、
私たちの幸運はなんたるものか。
音楽と出逢い、音楽を愛することができる
すべての人に、祝福を。