わたしらしさに彩りを。

日々のよしなしごとを綴ります。食べることとaikoと言葉をこよなく愛する女子大生。

”泣いてしまうなんて勿体ない” うっかり外で聴けないaikoのバラードを10曲厳選してみた

 

今週のお題「私の沼」

  

たぶん、はてなブログの機能を3割も使いこなせていないわたしだが、

たまにはそれっぽいタイトルで記事を書いてみようと思い立った。

 

 

わたしは、熱烈なaikoファンである。

正直、ファンという言葉はあまり使いたくない。だって、そんなもんじゃない。

 

aikoジャンキー」とはよく言ったものだと思うが、まさにその通りなのである。

彼女にはものすごい中毒性がある。いったんハマったら最後、きっともうあなたも抜け出せない。

 

今回のお題「私の沼」への参加を思いついたのも、aikoへの想いが募り募ってまさしく「沼」としか呼べない深さに到達しているからである。

 

 

わたしはこれまでにもaikoに関する記事を数回アップしたことがあるが、

いずれもaikoへの想いの丈をつらつらと書き連ねたり、歌詞を紹介したりしたものだった。

 

yukanon15.hatenablog.jp

yukanon15.hatenablog.jp

yukanon15.hatenablog.jp

 

今回、少し趣向を変えてみまして。

 

aikoはええ曲しかない……」それはもう大前提として、

中でもわたしが、「何回聴いても泣いてまうからうっかり外で聴けへん、、」

と思っているaikoバラードを10曲厳選してみました。

 

できるだけ冷静に、極力感情的にならずに(ほっといたらどこまでも高ぶるんで)、

aikoバラードの魅力をお伝えできればなと思う。

 

どれもほんっっっまにええ曲なんで、

aikoジャンキーはもとより、そうでない人にもぜひご一読いただきたい。

 

 (ちなみに、どの曲も好きすぎて順位はつけられないのでランキング形式ではありまへん。)

 

 

ではさっそく参りましょう。ドン!

 

 

 

 

1.Aka
 

f:id:yukanon15:20170531031753j:plain

 

2012年6月発売のアルバム「時のシルエット」の一曲目、Aka。

 

冒頭でも述べた通り、どの曲もほんまに好きすぎて「これが一番!」っていうのはめちゃくちゃ難しいんですが、

「一番~な曲」という言い方をするならば、Akaはわたしにとって一番思い入れの深い曲です(早速主観ーーー!)。

 

というのも、

初参戦したaikoのライブの一曲目だったんですね。

つまり、人生ではじめて聴いたaikoの生歌が、Akaでした。

そりゃ思い入れも深くなるってもんです。

 

 

そんな個人的なエピソードはさておき、

 

Akaは、離れた場所で恋をしている二人の曲。

 

あなたがあたしの事をどう思っているのか

それはそれは毎日不安です

 

遠くて逢えない日があっても全てうまく行きますように

 

かつて雑誌のインタビューで「私、遠距離ダメなんです(笑)」と答えていたaikoだが、もちろん経験したことはあったに違いない。

 

祈るような思いで過ごす毎日。

 

泣いてしまうなんて勿体ない

 

 この記事のタイトルにも引用した、何度も繰り返されるこのフレーズが印象的。

 

逢えない日を重ねたあとに広がる「今だけの世界」。

 

やっと逢えた大好きな人をちゃんと目に焼き付けたい、

笑顔の自分を見てもらいたい、なのに

「泣いてしまうなんて勿体ない」。

 

なんとなく「ぼやけた向こうに見える」あなたの顔は、

泣いている「あたし」をなだめるように、優しく笑っていると思えてならない。

 

 

 

2.愛のしぐさ

 

f:id:yukanon15:20170531034804j:plain

 

2005年発売の6thアルバム「夢の中のまっすぐな道」に収録されている曲。

 

 

これが好きっていう人はちょっとコアなファンかもしれないな(ファン言うんかい)。

 

愛のしぐさを一言で伝えるなら、とにかく「切ない」。

今回紹介する10曲の中でも、切な度はダントツトップやと思います。

 

歌詞や曲調もさることながら、なんといってもaikoの歌い方が、もう。

あまりにも切実で。心に刺さるみたいにして訴えかけてくる。

 

ふと道で香ってた同じ匂いにこのまま

倒れてしまいそうだった

 

「香ってた」の「た―――」がやばいです。わたしは「た―――」で泣ける。

歌いながらも、息が抜けるような。力尽きるっていったらニュアンスが変わってしまうけど、なんとも切ない抜け方をするんです。

 

ここの歌詞も、愛のしぐさの中でいちばん好き。

匂いって、五感の中で最も記憶をよみがえらせるものやと思ってる(科学的にも証明されてた気がする。知らんけど)。

 

あなたも、そんな経験ありませんか?

 

 

 

3.明日もいつも通りに

 

f:id:yukanon15:20170531034804j:plain

 

同じく「夢の中のまっすぐな道」より、明日もいつも通りに。

 

 

余談ですが、「夢の中のまっすぐな道」ってタイトルがめちゃめちゃ好きです。

収録曲がタイトルになってたり(後で出てくる「秘密」とか)、曲の中でタイトルに近い歌詞が出てくる(キスの息 /「泡のような愛だった」の ” 泡のように嘘だったと消えたりしないでね ” )アルバムもあるけど、これはそうじゃなくて。

(ってさらに関係ないけど、「キスの息」が予測変換で「キスの域」って出てきて笑ったわ。どっからどこまでやねん)

 収録曲とか薄青いフェードがかったジャケットとか、そういう全部でアルバムの雰囲気ができあがってる。その雰囲気ぜんぶ含めたタイトルなんかなと。

もちろんどのアルバムもそうやろうけど、「夢の中のまっすぐな道」は特にその色が強い気がするなあ。想像をふくらませるのが楽しいです。

 

 

で、話を戻すと、

 

明日もいつも通りに は、愛のしぐさに続く切ない曲だと思ってる。切な度ランキング第2位。

 

恋人と別れたあとの曲です。

 

あたしの声はあなたには届かない

悪口叫んだとしてももう聞こえない

 

時が経って知ったでしょ?何気なく過ぎてゆく毎日に生まれてた愛情が

「つまんない」と呟いた白く煙る日々でも心の隅っこで生きてた事

 

なんとなしに曲調、歌い方ともに 愛のしぐさ に似ているところがある。

 

1番と2番はBメロで盛り上げて盛り上げて、

一瞬の空白でさらに高めた気持ちを吐き出すかのようにサビへとなだれ込む。

そこでもかなりぐっとくるのだが、対照的な2番あとの大サビがさらにこの曲の印象を強くしている。

 

間奏後、長めに取られた空白に身構えるも、

耳に入ってくるのはそっと撫でるかのように優しいピアノと控えめな歌声。

しかし次第にそれらは情感を増して熱を帯びてゆき、

同時に例えようもないくらい胸に迫りくるのだ。

 

だけど一生想うだろう 本当は大好きなの

キスする感覚を忘れても

指の間絡ませて繋いでたこの手が

大人な握手に変わっても

 

この部分こそが、明日もいつも通りに を

『明日もいつも通りに』たらしめている箇所だといっても過言ではないだろう。

 

 

 

4.微熱

 

f:id:yukanon15:20170531044555j:plain

 

2016年発売の最新シングル、「恋をしたのは」のカップリング曲。

 

わたしが最近、一番かもしれないくらい好きなかもしれない曲です(曖昧すぎか)。

いや、やっぱり今いちばん好きな曲です。

 

わたしがこの曲最大の要やと思ってるのは、

二番あとの間奏に、aikoがハミングでハモるところ(3分25秒から3分30秒までの5秒間)です。

 

いや、ハミングではないんかな。

「う――うぅ―――」みたいな。(字面めっちゃ苦しそうやん。違うんですよ。)

 

そこが本当に、たまらなく美しい。

心が洗われるみたいに綺麗な音楽に、何回だって涙が溢れる。

 

あなたと手をつなぐ時はいつも

汗の星屑と心がぶつかる

 

この歌詞をはじめて目にした時、誇張なく鳥肌が立った。

汗の星屑。そんな綺麗な表現ほかにありますか?って思う。

 

1分1秒刻み

あなたを知り あたしをあげる

 

あぁ 大好きで泣けてくる

 

好きすぎて泣いてしまう感覚。幸せだけど苦しいな。

 

 

 

5.自転車

 

f:id:yukanon15:20170531031753j:plain

 

Akaと同じ「時のシルエット」の、最後に収録されている曲。

 

なんとなしに、清潔な空気がはりつめた夏の早朝が思い浮かぶ。

(発売が初夏だったからかな)

 

恋人に別れを告げられたあとの曲です。

 

とはいえ、重苦しい感じは一切ない。

しずかで、丁寧で、さわやかで。

別れを告げられたという辛い現実に向き合いながらも、

「あなた」のことを心から大切に思っていて、同じように「あたし」も大切にされてきたんやなあと思わせられる、優しい曲。

 

気持ちは昨日今日 毎日変わって行く

明日あなたはあたしの事をどう思っていてくれるだろう

 

噛みしめるように何度も思う。

気持ちの境目は見えないから、いつも不安なんだろう。

 

こんなに好きな人に逢えた事はとても大きな出来事

 

たとえ離れてしまっても、そんなふうに思える人とできた恋は本当に素敵だと思う。

 

 

 

6.スター

 

f:id:yukanon15:20170531052509j:plain

 

2006年発売、通算7枚目のアルバム「彼女」の収録曲。

映画「あらしのよるに」の主題歌にもなっていました。

 

素直でまっすぐな歌詞が素敵で、随所にちりばめられた言葉が本当に綺麗。

 

「心から好き」とか喜んだ顔とか

そんなものばかりで溢れます様に

 

はにかみ 吐息 唇が動いた

「明日もちゃんと傍にいて」

 

透き通る日も 曇り濁った日も

あなたに想いを焦がして

 

そして、サビの熱量がすごい。

Bメロからブレスなしでサビに入るから否応なしに高められるし、そのあとのメロディーラインがたまらなく切なくて印象的。

 

 

あと、どうしても知ってほしいことがありまして(そんなん常識やわってなったらごめんなさい)。

 

あたしが射す光のもとへと

強く手を伸ばせるのならば

 

っていうのが一番のサビ。

 

で、2番のBメロの歌詞が、

 

真っ白な世界を歩いて行こう

あなたはいつまでもあたしの光

 

 

お気づきだろうか。

 

あなたはいつまでもあたしの光

 

ということは…

 

あたしが射す光」って、

ほかでもない「あなた」のこと。

 

 

高校生の時そのリンクに気づいて、

aikoすごい…って心が震えるほど思ったのを今でも覚えてる。 

 

 

 

7.瞬き

 

f:id:yukanon15:20170531054752p:plain

 

2011年発売の29thシングル、「ずっと」のカップリング曲。

 

厳選した後になって「はたしてこれはバラードなのか…?」って思ったけど、

もう決めたんで気にせず書きますね(ミディアムバラード、かな?)。

 

 

aikoらしい濃密さがぎゅっと詰まった曲。

現在は別れているものの、時系列をくるくる変えながら好きな人(好きだった人)とのことが描き出されている。

 

こんなにもこんなにも苦しくて眠れないのは

あなたを愛する証だと言い聞かせてるの

 

歌い出しから、濃い。

「愛してた証」じゃない、「愛する証」。

 

繰り返すときの中で何度もすれ違った

 

ただ過ぎる時の中でまた出逢ってしまった

 

時間を重ねても、きっと他人にはなり切れない。

つかず離れずの関係で揺れる心が垣間見える。

 

 

両手の隙間から見えた あたしを見てるあなたも

両手の隙間から見えた あたしが見てるあなたを

 

まるで間違い探しみたいだ。

たった一文字、助詞が違うだけでこんなにも変わる。

 

これだから、日本語はすごい。

これだから、aikoはすごい。

 

 

今 瞬きが始まりに変わる

 

すごく好きなフレーズです。

 

 

 

8.いつもあたしは

 

f:id:yukanon15:20170531060405j:plain

 

両A面シングル「恋のスーパーボール|ホーム」のカップリング曲。

ちなみにこの画像は、関西限定版のジャケットです。

 

 

大好きな人を、このうえなくたいせつに想う気持ちを描いた一曲。

その気持ちが大きすぎて生まれる不安や逡巡も、きちんと認めて温めてあげようって思うことができる。

 

心襲う不安な事 想像したら一瞬時が止まる

温かい今を愛おしく思う事もあたしには出来ない

 

例えばあなたがいなくなったら あたしは死んでしまうのと

あなたをいつも引き留めてしまう

いつもあたしは

 

この辺は、俗にいうメンヘラ的な要素でしょうか…。

まあaikoジャンキーである以上、誰しも多少は持ち合わせてるのかもしれないな、、笑

 

出逢えた日を何度も思い出す 忘れる事なんて出来ないから

 

出逢った日、ではなく「出逢えた日」。

偶然といってしまえばそれまでなことも、きちんとすくい上げて大事にしたい。

 

 

過ぎてく日々にひとつひとつ 重ねる何気ないあなたとの時

これ以上のものはいらない

いつもあたしは

いつもあたしは

 

これ以上のものはいらない

aikoにそう言わしめるほどの幸せは、手の込んだサプライズや記念日といった特別なものではないのだ。

二人で過ごす中、圧倒的に多くやってくるのは特別でもなんでもない「ふつう」の日常である。

「ふつう」の日々を、どれだけ愛おしく思えるか。

この曲は、またその大切さにも溢れていると思えてならないのだ。

 

 

 

9.秘密

 

f:id:yukanon15:20170531072016j:plain

 

さて、いよいよ終盤に差し掛かってまいりました。

通算8枚目のアルバム「秘密」より、表題作の 秘密 です。

 

 

この曲はもう、

 

「とにかく一回聴いてみてください!!!」

 

と、言いたい。

 

 

この曲なしに、aikoは語れない。

 

っていうくらい、

歌詞にも曲調にも歌い方にも、aiko的要素が濃縮されている曲。

 

 

ちょっと余談ですが、

秘密 の歌詞に込められた想いの重さと深さがすごーーーくわかる、

大好きなブログです。

 

diary.uedakeita.net

 

これ読んだときは感動しました。

洞察力がすごい。ほんでめちゃくちゃおもしろいです。笑

 

 

これ以上想いが募ったら

なんだか好きだけじゃ済まなくなりそうで

 

「好き」の向こうには一体なにがあるのか?

きっとそれはaikoにもわかっていないのだろう。だから怖い。

人を好きになるって、とてつもなく怖いことだ。

 

 

こうして出逢えた事も きっと決まっていた事

 

ここでもまた、「出逢った事」ではなく「出逢えた事」なんだなあ。

 

 

 

10.約束

 

f:id:yukanon15:20170531072016j:plain

 

ラストは、アルバム「秘密」の最後に収録されている曲。

 

好きな人と別れてしまった曲です。

同じくアルバムの最後に収録されている 自転車 と、

どことなく似ているかもしれない。

 

イントロなしでいきなり始まる歌い出しに、まず心掴まれる。

歌詞全体が、まるで詩みたいな美しさ。

 

夏の雲が作る グランドに引いた白線の様な

石灰舞う瞬間

 

冬の雲は作る 細く切ない生糸で編んだ薄いストールの波

 

1番と2番のAメロでつくられる対比が本当に素敵。

きっと長い時間を共にした二人だったんだろうなあと思う。

「グランド」「白線」っていうワードからも、

わたしの中では高校時代を想起させられる一曲です。

 

あなたの斜め後ろにいた時いつも思い描いた

強く淡い明日

 

「強く」「淡い」という、一見対照的な二語が組み合わせられている。

でも、なんだかわかる気がするのだ。

たしかなもの。でも同時に、このうえなく不確かな相手の気持ち。

自転車 の ” 明日あなたはあたしの事をどう思っていてくれるだろう " 的な

漠然とした不安が、ここでも垣間見える。

約束 の中で、わたしがいちばん好きな歌詞です。

 

 

桜色の花火 朱色のコート

 

四季が表現されたaikoの歌詞の中でも、もっとも秀逸だといえるのがこれ。

「桜色」で春を、「花火」で夏を、

「朱色」で秋、そして「コート」で冬を表している。

ここからも、すべての季節を共にした二人の姿が

浮かんでくる気がしてならないのだ。

 

いつかまた逢える日が来るでしょう

その日まで必ず元気でいてね

 

次に逢う時はきっともう恋人同士ではないけれど、

大切な人であることに変わりはないからそう思うのだ。

 

 

 

 

さて、以上10曲ご紹介しましたが、いかがだったでしょうか。

 

なんだかんだで結局、自分の思い入れや主観の強い解説になってしまいましたが(笑)

 

少しでも「この曲聴いてみよう!」とか、

または「この曲こんなところがあったんや!」、

もしくは「ここいいよなーーー!わかる!!」、

さらには(もうええわ)

…なんて、思ってもらえるきっかけになれば幸いです。

 

 

 

 言葉に言い表せない程の想いの方がきっと多いよ

 

言葉の力を心から信じているわたしでさえ、

 

本当に好きなものとかすきな人とか、

打ちのめされるほどの衝撃を前にするたび

いかに言葉が無力かを知る。

 

とてもじゃないけど、言い表せない。

それが好きであればあるほど、

すごいと思えば思うほど。

 

それでもわたしにとっては言葉がほとんど唯一の手段だから、

なんとか言葉にしたくって、いつも不格好にもがいています。

 

想いを言葉で伝えたい。

どうか伝わってほしい、って泣きそうなくらい切実に思う。

 

 

aikoはめちゃくちゃ多才な人やけど、

中でも「言葉」をすごく大切にしてるんやなあっているのが

ひしひしと伝わってくるから大好きです。

 

 

 

最後ちょっと話がそれちゃいましたが、

ぜひあなたもaikoの沼へ、おいでませ。

 

 

長いのに読んでくださって、

本当にありがとうございました!(^O^)

 

 

裏切られてもずっと好き

 

人混みの中に紛れていても、

目立たない片隅にひっそり佇んでいても、


彼が視界の端に入るだけで、わたしはどうしてもそこを素通りすることができない。

 

思わず足を止めて近寄り、そっと手をふれる。


時に思わず顔がほころぶほどやさしく、

でも時には、拒絶するかのようにかたくなで。

そんなときはかすかに落胆するものの、
やっぱり大好きな気持ちは変わらない。

 

 

あれはいつのことだろう。

確か、わたしが小学生くらいだったと記憶している。
出会いは、母を介してのことだった。

 

はじめは、どうしても苦手だった。

まだ早熟だった彼のことを、わたしはなんだか青臭いと感じていた。

子供心に、好きにはなれないと思った。

 

 

それから月日は流れ、わたしが高校生になった頃のこと。


ずっと忘れていた、その彼と再会した。

 


あまりの衝撃に、わたしは目を見張った。

 

彼は、こんなにもやさしかっただろうか。

こんなにもやわらかく、多様な表情を見せるのだっただろうか。

 

頑強な見かけとは裏腹に濃厚で、くせがなく、
主張しすぎないのにたしかな存在感に溢れている。

 


たちまちわたしは、夢中になった。

 

毎日だって構わなかった。

飽きることなんてないと思っていたし、事実それは今も全く変わっていない。

 

わたしは彼を、愛している。

 

 

しかし、再会の喜びも束の間、

彼は時々わたしにつらく当たった。


わたしがどんなに期待を込めて手をふれても、
芳しい反応は得られないことは今でもしばしばである。

 

自分の殻に閉じこもったみたいによそよそしい時もあれば、

複雑に絡み合い、わたしに付け入る隙を与えない時もある。

 

そのたびわたしは、ぎゅっと唇を噛みしめる。

 

こんなに好きなのに。

愛しているのに。

 

どうしてちゃんと、熟れていないの。

どうしてこんなに、筋張ってるの。


外見からは判断しきれないから、
裏切られた経験は数知れない。

 

罪のない彼に、見返りを求めてはいけない。

そう言い聞かせるもやっぱり寂しくなってしまう。


だって、こんなに好きなんだもん。

 

 


しかし、だからといって
この想いは一ミリも変わらない。

 

たとえ固い時があっても、

筋張っている時があっても、


これからもずっと愛し続けようと心に誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(注: 上記はすべてアボカドの話です)

 

「好きだから、あげる。」

 

ぼろぼろ泣きながら本を読んでいると、

「ピーッ!ピーッ!」

という遠慮のない音がして、いきなり現実に引き戻された。

 


りんごのケーキが焼けたのだ。

本に夢中になるあまり、すっかり忘れてしまっていた。

 


布巾を手に取り出してみると、表面が香ばしく色づいていてなんとも美味しそう。


うんと顔を近づけて、しあわせな匂いを独り占めする。

素朴なたまごの風味がやさしく香り立つ。


焼きたての匂いが体いっぱいに広がっていくこの感覚、至福そのもの!

 


呆れるほどずぼらで不器用で、丁寧とはおよそ程遠い生活をしているわたしだけど、
かんたんなお菓子や料理を作るのは大好き。

(ただしその時のやる気や気分による)

 

室温に戻したマーガリンをよく練り、そこへお砂糖をすり混ぜる。

といた卵を少しずつ加えながら混ぜ合わせていくと、粘りともとろみともいえない感覚が、だんだん生地にまとわりついてくる。


自分の手の中で少しずつ色を変え、形を変えていくふしぎ。
この手順が、とても好きだ。

 

自分だけのためだとつい手抜きしてしまいがちな「はかる」「ふるう」といった一手間も、すきな人のためなら省かない。

誰かのことを想って作る時間は、
わたしにとっての幸福そのものなのである。

 

 

「好きだから、あげる。」


ただそれだけの理由で何かをあげたり貸したりできる人がいるのって、
めちゃくちゃにしあわせなことだと思うのだ。

 

喜んでもらえるかどうかの不安はつきものであるにしても、

「余ってるから」
「たまたまもらったから」

なんて言い訳をしなくてもいい。

 

食べてもらいたい。

読んでほしい。

喜んでもらいたい。

 

たったそれだけの理由で動いたっていいんだってこと。

それをそのままぶつけたって困られない関係にあるっていうこと。


奇跡みたいに嬉しいことだなあと感じる。

 


相手が好きかどうかわからないものをあげたり貸したりするのには、どうしたって勇気がいる。

だって、押し付けになってしまうのが怖いから。

 

もちろん相手が誰であれ、行動すること自体に意味があるとは思っている。


でも、

怯まずにそれができる人に出会えるのは、とっても素敵なことだと思うのだ。

そしてそれは、恋愛に限ったことでない。

 


わたしは、全然多くなくていい。


ケーキを食べてくれる人然り。

素敵な本を貸してくれる人然り。


自分にとってそんな人がいてくれるのだということを、心の底から嬉しく思う。

 

 

「わたしはあなたを大切に思っている」
今、そばにいる大切な人に、わたしも伝えていこう。日々、新しい気持ちで、いつでも、何度でも。

『片想いさん』/ 坂崎千春

 

ノスタルジックはたまにでいい。

 

大学からの帰り道、

家のすぐ近くの商店街に、なにやら赤い光がたくさん見える。


そして、尋常じゃない数(普段比)の人の波。

 

商店街のお祭りだ。


21時ごろだったのでだいぶ終盤に差し掛かっていたけれど、
お祭りならではの浮かれた空気と賑わいは、まだそこらじゅうに漂っている。

 

金魚すくいや射的などのささやかな露店もちらほら目につくが、
夜店の大部分は商店街のお店が出しているものだった。


立ち飲み居酒屋が揚げ物とビール、
カフェがコーヒーやジュース、
チョコレート専門店がいちごチョコ、といった具合。店先で売っているあの感じ。

そのほかにもわたがしやおもちゃやポテトなど、
子どもが間違いなく飛びつくやつが目白押し。

 

家族づれはもちろん多くて、制服姿の高校生もちらほらいたけれど、

圧倒的に多かったのが、小学生&中学生のグループだった。

 

わかるーーー!って思った。

地域のお祭りって、小・中学生にとっての一大イベントやもんね。

 


おもちゃの剣を振り回しながら走っていく男の子たちや

真っ黒に日焼けしててもちろん化粧っ気もないけれど
「あー、めいっぱいのおしゃれしたんやなあ」ていう女の子たちを目の当たりにして、


年間360日くらい部活に明け暮れていた中学生の頃
地域のお祭りによく行っていたことをふと思い出した。

 

夏になると、学校近くの神社や公園に夜店が並ぶささやかなお祭りがいくつかあった。

 

お祭りなら、部活終わりでもいける……!


とにかく娯楽とおしゃれをする機会に飢えていたわたしたちは、
部活終わりに一旦帰って着替え、こぞっておしゃれしてはそんなお祭りに行っていた。

 


無駄に食べる。

とにかく食べる。


使う機会がないために、持て余していたおこづかいでここぞとばかりに買い食いし、

ぬるい夜の中で輪になっておしゃべりしたり、

知り合いを見つけるたびに、きゃーって走り寄ったりして。

 

当時好きやった男の子も来てて、

話しかけられないわたしの代わりに、
友達が隠し撮りしてくれたりしたなあなんていう
ちょっとアレなエピソードもふと思い出した。

 

帰ったあと、買ってもらったばっかりの携帯で一生懸命メールしたりして。

その人からの着信だけ、ディスプレイの表示色と着信音を変えたりして。

 

赤やったわー。

EXILEやったわーーー。


とか、今でも覚えてるもんですね。鳥肌。

 

 


ともあれ、

地元のお祭りならではのノスタルジックな雰囲気あふれる空間であった。


地域も規模も違えど、

あの空間に流れる独特な空気感って、やっぱり似通ったものがあるんやな。


商店街、全然まだまだ現役やんって思ったよ。

 


ただ、わたしが商店街を通ったのはノスタルジーを感じるためじゃなくて、

その先のスーパーで晩ごはんを買いたかったからなんやな。

 

まあそんな気はしてたけど、
なんっにも残ってないですよね。


そして店内に溢れる中学生に辟易し、
何も買わずにすぐ飛び出した。

 

商店街とは反対の道を通り、

リアリティを噛みしめながら帰路につきました。

 

ノスタルジックはたまにでいい。

 

そんな日もある。

 

自他ともに認める、絶望的な方向音痴である。


目的地は行き慣れている界隈のど真ん中、
自宅から自転車で15分もかからない場所である。

さすがに行けるだろうとは思ったが、地理に関してどれだけ自分が信頼できないかは自分が一番よく知っている。


というわけで、

絶大な信頼を寄せているGoogleマップと首っぴきで自転車を漕ぎ出した。

 


ここ京都で暮らして、2年が過ぎた。


さすがにわかる。

家を出て右と左どっちに曲がればいいのか、
街に出るには大体どの方向に進めばいいのか、私にはもうわかるのである。

と、それだけで誇らしくなってしまうあたり、
自分がどれだけ無能か露呈してるようなもんである。

 

今日も今日とて、
よし右に曲がってバイトに行くのと同じ道を進めばいいのね、ということは地図を見ただけでわかった。

わかるぞ私、すごい、と思っていた。


とはいえ数えきれないほど道に迷った過去があるため、ちょっと進むとすぐ不安になってしまう。

 

するとどういうことが起こるかというと、

Googleマップの示す道を忠実に守ることに必死になり、目的地を完全に見失うのである。

 

はたと気づくと、自分がどこにいるのかわからない。


お店の予約時間はもう過ぎている。

耐え難い屈辱を感じながら「すみません、道に迷ったので遅れます…」というメッセージを送信した。

 

信号が青になったが、渡るべきなのかわからない。

横断歩道を目の前にして、懸命に携帯をくるくる回す(マップに表示された矢印の向きを確かめる)私を怪訝な目で見ながら、人々は通り過ぎてゆく。

 

途端、私の混乱が伝染したかのようにむちゃくちゃな方向を指し示し出すGoogleマップ


いや勘弁してよ………!

あなただけを頼りにここまでやってきたんやで!?


と、パニックになりかけて必死であたりを見渡すと、

なんてことはない、いつも通っている交差点の目の前なのである。

 

はい。


よしわかった、もう大丈夫!と思いつつも、やはり頭は依然動揺していたのであろう。

 


気を取り直して進みだしたその直後、


歩道わきのポールと乗降中のバスに挟まれ、にっちもさっちもいかなくなっておろおろしてしまい、
バスの運転手さんに「そこの自転車ちょっと離れてください」とマイクで言われるわ、


さらに輪をかけておろおろしながら自転車を押して進もうとすると、
警備のおっちゃんに「この通りは自転車通行禁止ですよ」と冷ややかに言われるわ。


いや知ってる、ここ自転車通ったあかんのめっちゃ知ってるし悪気なんて一ミリもなくて、ただ目的地にたどり着くのに必死でGoogleマップさんの指す方向を進んだらこの通りに出てしまったんです……!


って思ったけど、
どうみても100パーセント私が悪いのは明白なので「すみません」と小声で謝ってすり抜けた。

もう穴があったら飛び込みたかった。

 

まあなんとか目的地には無事辿り着き、

めっちゃ知ってる界隈だったので
帰りは余裕ですいすい行けて。


(いやー、はじめは来た道を帰ることすらままならんかったのになあ。
地図見んでも帰れるって、やっぱ成長してるわ私)


なんて頭の中でほざきながら、授業を受けるため大学へ。

 


英語の授業でした。

はじめの30分くらいでドキュメンタリーちっくな映画を見るんですが、

 

ねむい…………

あかんねむい…………


で、気づいたら寝てて。

 

端っこから順番に当たってく授業なんですが、

今日私の列が当たる日で。

 

やばい、すっかり忘れてたしいっこも予習してへん…と焦ってテキストを開き、


急いで単語を調べようと電子辞書を開いたら、

「電池がありません 交換してください」

 

うーわ、まじか。

 

映画みてたらある程度内容わかってたはずやのに、
のんきに寝てた自分を心底呪った。

 


寝ぼけた頭を必死で叩き起こそうとするも、


あかん、もうすぐ当たるやばい……!

ていう焦りで全然働かへん。

 

「はい、じゃあ次」

 

きた………無理やねんけど。

 

案の定、めっちゃ簡単なはずの英文に対してとんちんかんな回答を繰り広げ、


「そんなこと、どこに書いてるの?」と、
100名弱の受講生の前ですぱんと切り落とす無情な先生。

 

いや、予習と辞書の電池交換も忘れたうえ、すやすや寝てた自分が100パーセント悪いねんけどな。

まあ穴があったら飛び込みたかった(本日2回目)。

 

 

あーーー、
なんか今日もうあかん日な気がする。

(「自業自得」の4文字が頭にちらついたのは言うまでもない)

 

そういえばまだごはんを食べていなかったので、

よし、お気に入りのパン屋さんでパン買って帰ろう!
と気を取り直し、学校をあとにした。

 

パン屋さんに到着し、

散々まよっておかずパンを選んだあと、
ふと目に留まったのはクリームパン。


普段まず選ばないのだが、今日はなんだか無性にカスタードが食べたくなった。

 

よし、君に決めたぞクリームパン。


さっきまでの憂鬱はどこへやら、
いい匂いのパンたちを手に、るんるんで帰路に着いた。

 


お惣菜パンをすいすいとたいらげ、

お次はお待ちかねのクリームパン。

 

一口かじると、想像以上に生地がもっちりとしている。

ふわふわを想像していたので、
「もちもち食感」を愛してやまない私にとって、これは嬉しい誤算だった。


きめ細やかな断面。
これにとろんとしたカスタードクリームなんて…!

と、想像するだけで気持ちが高ぶった。

 


まだかな、


まだかな、カスタード。

 


…おかしい。


三分の一以上たべたのに、依然カスタードが顔を見せないのだ。

 

 

これは、


もしや、

 

と、嫌な予感に駆られながら

おそるおそる、パンを手で半分に割る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まっしろ!!!!!

 

うそやん!

カスタードのかけらも見当たらない!!!

 


きめ細やかなもっちり生地が、

どこまでもまっしろに続いていた。

 


呆然とする反面、

やっぱりね。なんか、そんな気はしてた。

 


クリームなしのクリームパンに幸あれ。


ああ、明日はいい日になりますように。

 

こんなに早く夏が来る

 

待ちに待った季節が、今年もやって来た。


そう、愛してやまないaikoのライブツアー
Love Like Rock 8!!!

 

参戦は、昨日でなんと14回目でした。

にも関わらず、この日のためにわたしは生きてきたんかもって、毎回飽きずに本気で思う。

 

嬉しいことにわりといつも席運はいい方で、
今回も花道中央の2列目を守り通すことができました。

目の前にaiko。もうダイレクトにaikoやった。

 


そして、

大阪2日目にしてまさかのトリプルアンコール!


最終日さながらの熱気がすごかった…!

明かりがついてアナウンスが流れてもなお食い下がるあのしぶとさ、
やっぱ大阪やなあと思いました。笑


aikoも言うてたけど、カウントダウンライブ思い出したなあ。

 


開演前に涙ぐむ癖がどうにもなりません。


ああ、もうすぐで手の届きそうなこの距離にaikoが…!

あの特別な空間をまた味わえるなんて…!


ってこみ上げる想いに、今でも毎回耐えかねる笑

 


照明が落ちて歓声があがる開演直前、
あの瞬間の、あの高まり。

まぶしい光に浮かぶあのシルエット。

 

ライブの空間が、本当に本当にたまらなく好き。

チカチカ 12色の光がライブハウスの中を回る。

 


一階はオールスタンディングだから、
隣の人との距離なんてあったもんじゃない。

ゼロ距離どころかむしろマイナス。食い込みまくり。

 

体温と興奮の入り混じった異様な熱気で酸素が足りなくて、息をするのさえも苦しい。


前の人の頭にぶつかって跳ね返る自分の吐息が熱くて、

自分と他人の汗で全身びっちょびちょで、

隣の人の肘が膝が肩が体にめり込んできて、

一度上げたら下ろすこともままならない腕が痛くて、

一瞬でも気を抜いたら崩れ落ちそうになるところを、気力で踏ん張ってる感じ。笑

 


でも、その先にaikoがいる限り。

限界なんて、嘘みたいに軽々と超えていける。


首が痛くなるほどめいっぱい見上げた先には、
だってaikoがいるんやもん。

 


何回行っても信じられない。

焦がれるほどに大好きな人がいま、
手の届きそうな距離にいる。

 

きらきら流れ落ちる汗があまりに綺麗で、

はかないくらいに真っ白な肌がまぶしくて、

揺れる毛先も細い手首も、
ふわふわ漂うワンピースも甘い香りも、


何もかも愛しすぎて、
もうこの人の存在そのものが奇跡やんって思う。

 


わたしたちが突き上げた腕のシルエット越しに、
交差するライトに照らされたaikoが見える。


あの景色が本当に好き。
絶対に忘れたくない。

 

 


ライブに行くたび、新しい気持ちで歌を受け止めることができる。


今まで気づかなかった魅力にはっとさせられて、
知ってたはずの曲が全然違う表情を見せる。

 

今回、中でも特に聴けてよかったなと思ったのが

「キスが巡る」
「なんて一日」
「夏バテ」
「雨踏むオーバーオール」
「微熱」


かなー。

あと、最後のアカペラの「夏服」。


いや全部なんやけど!
ほんまにもっともっと全部なんやけど!!!

 


作った時のエピソードと一緒に届けてくれた曲は特に、
ライブのあとも残り続ける気がする。


今回それが「雨踏むオーバーオール」でした。

 

今のわたしと同じくらいの年のときにできた曲なんやって。

届きたくて背伸びして、
好かれたくてたまらなかった。

 

「微熱」がほんまに、大好きで。

音源に入ってる秒針の音がないぶん、
イントロのピアノが際立ってた。


2番のあとの間奏が一番ぐっとくる。
息をするみたいに涙が流れた。


しあわせすぎて苦しさすら感じるような、

軽やかなようで、この上なく濃密な時間が詰まってる曲やと思う。

 


心の底から歌を愛して
心の底からファンを愛してくれてるからこそ、

こんなにも歌に愛されて
こんなにもファンに愛されてるんやなあ。

 

はかり知れずaikoに魅せられ続けてる、

あなたは近くて遠い人。

 

目を見て、だいすき!って言えて良かった。

目尻で優しく笑ってくれた。

 

 

今日も余韻でひたひたです。


今年も燃え尽きる……!

蜜蜂と遠雷

 

読み終えた時に感じたのは、

なんとも言えぬ深い歓びと

負けず劣らず、どっしりとした疲労感だった。

 

蜜蜂と遠雷」/ 恩田陸


直木賞本屋大賞の史上初ダブル受賞に輝いた、
言わずと知れた話題作である。


芳ヶ江国際ピアノコンクールを舞台にして、

才能も出場動機もまったく異なる出演者のピアニストたちにスポットを当てながら、長丁場のコンクールを走り抜ける。

 

そう、「読んだ」という感想では到底表せない。


出演者や審査員とともに激戦のコンクールを経験したような、

まるで自分が苦楽を共にした仲間か、存分に音楽を味わった聴衆であったかのような錯覚を覚えてしまうのだ。

 


蜜蜂と遠雷」は、500ページ超の大作だ。


手に持った時のずっしりとした重みにわくわくする。

ちょっと手を離せばすぐにページが閉じてしまうから、
片手間に読むことは許されない。

 

満腹必須であるボリュームの中には、

コンクール期間の濃密な時間や
繊細な感情の揺れ動き、

のびやかに広がる雄大な景色、


そして音楽への惜しみない愛がたっぷりと詰め込まれている。

 

これからこの本を読む人には、ぜひまとまった時間を作って一気に読むことをお勧めする。

出演者と共に、コンクールを終えた感慨を味わえること間違いなしだ。

 


作品に出てくる出演者は、色彩豊かな粒ぞろいの天才たちや、死に物狂いで練習してコンクールに臨んだ努力家だ。


その人たちの、演奏風景の描写がすごい。

 

「弾いている」のではなく、
ピアノに「弾かされている」かのような一体感。


呼吸するような自然さで音を鳴らし、

音楽と溶けあいながら、ピアノとじゃれあうように演奏し、

まるで生きる歓びを体現化しているかのよう。

 

あんなふうに、自分もピアノを弾けたなら。


見ていないのに、聴いていないはずなのに、
そう思わずにはいられなかった。

 

見たことのない世界を創り出す。


それは作品の中で演奏する音楽家たちの姿でもあり、

また、読者が見たことのない景色を文字だけで鮮やかに描き出す、作者そのものの姿でもあるのだと感じた。

 


エントリーから本選まで、
コンクールの構成に沿って物語は展開されてゆく。


第二次予選の結果発表の場面では、誇張でなく手に汗が滲んだ。
紙のブックカバーが湿ってよれてしまったほどだ。

 

結果が知りたい。

誰が第三次予選に残ったのか、早く知りたい。

 

逸る思いにいったん目を閉じて深呼吸をし、

間違っても一段先に目をやらないよう、
細心の注意を払いながら読み進めていく。

 


あの胸の高鳴り。

えも言えぬあの興奮。

拭えない不安。


まぶしい景色には、既視感があった。


わたしは、この光景を知っている。

滑稽なほどに緊迫と高揚が入り混じり、
今にも笑い出しそうな、泣き出しそうな、あの空気。

 

どきん、と胸が鳴る音がした。

その先で涙したのは、私がどこよりも共感を得た場面だった。

 


先が気になるあまり、ちょっとでも気を抜くと、すぐ表面だけをなぞって上すべりに文字を追ってしまう。


これではもったいないと何度も我に返り、時には少し戻って読み返しつつ、

一つひとつの言葉にじっくりと向き合って咀嚼していった。

 

曲の中に無駄な音なんて一つもないように、

物語の中にも無駄な言葉なんて一つもないのだと、強く思った。

 


音楽は美しい。

ピアノは素晴らしい。

音楽って、なんて楽しいんだろう。


ピアノを弾いてきて良かった。

コンクールに出場して良かった。

 

作品の中では、語り手を変えて何度もなんども、音楽への賛辞が述べられている。

それと共に生きてきた、そしてこれからも共に生きてゆく、自らへの祝福も込めて。

 

 

世界は、音楽で満ちている。

 

いつも通りのマイペースな咀嚼が刻んでいるのは、
口の中の食べ物だけではない。


時には加速や減速もするけれど、そこにあるのはテンポ80の確かなリズム。

日常に息づく音楽の一部なのだ。

 

パーカーに袖を通す時の衣擦れの音、

髪をかきあげたときのしゃらりとした感触に似た音、

木のスプーンと陶器の器がふれあう
濁ったレのようなやわらかい音、

開け放した明るい窓からこぼれてくる、
これはいったい何の音だろう。

 

どうして今まで気づかなかったのだろう。

世界は、こんなにも音楽で満ちている。

 


世界に満ちた音楽と、

音楽に満ちた世界に祝福を。

 

こんな世界に生まれ落ちることができた、
私たちの幸運はなんたるものか。


音楽と出逢い、音楽を愛することができる
すべての人に、祝福を。