わたしらしさに彩りを。

日々のよしなしごとを綴ります。食べることとaikoと言葉をこよなく愛する女子大生。

まんぷくの至福

 

新年あけましておめでとうございます。

年末からこっちというもの、空腹になるひまもないほどずーっとずうっと、絶え間なく何かを食べ続けていた。

というだけのお話です。

 

はじまりは12月29日。
慌ただしい年の瀬、やっと始まった冬休みを祝福するかのような食べはじめであった。

まず、おいしくいっぱい食べることにかけては天下一品の友人たちとランチバイキング。
そして空腹を待たず、夜は高校時代の友人たちと焼肉バイキングへ。
食べ放題、というのはなんと魅惑的な響きだろう。あれもこれも、食べたいが止まらない。


翌日夜、実家での夕食もまさかの焼肉。
それも、普段めったにお目にかかれないようないいお肉である。いちばんに焼き、岩塩を振りかけて口に運んだ。
肉の繊維が、ほどけるようにやわらかい。
思わず言葉を失い、悶絶。舌の上でとろける脂がほんのりと甘く、信じられないほどおいしかった。


そして迎えた大晦日。夜ごはんは、まぐろといくらの丼と、ぶあつい豚バラを焼いたもの。
この豚肉が、またたまらない。父の田舎である鹿児島県産のものらしく、今まで食べてきた豚肉はいったいなんだったのかと言いたくなるほど、美味い。
たっぷりした脂身のわりに、全くと言っていいほどくどくない。適度な歯ごたえ、まったりとした口当たり。
シンプルなのに、奥ゆかしい。豚肉の底力を目の当たりにした気がした。

食後も「大晦日やし」を言い訳に、絶え間なく何かしらを口に運ぶ (チョコとかポテチとか、文字にするのも恐ろしいものたち)。
そして当たり前のように、10時半ごろには年越しそば(海老天付き)をおいしく食しました。

 

新年明けまして、お正月。

朝、母方のおばあちゃん家でおいしいごはんをお腹いっぱい食べる。

昼(わずか1時間後)、実家で母のお雑煮とおせち料理ミスドのドーナツを堪能する。

そして夜、父方のおばあちゃん家で(おじいちゃん家、とは言わないのはなんでだろう)お雑煮をいただいたあと、お腹がはちきれそうになるほどお寿司をたらふく食べた。
食後には、何種類ものチョコレートがずらりと並びました。まんべんなく食べました。


まだ終わりません、1月2日。
この日の夜は、父が大量に買ってきてくれた鰤でしゃぶしゃぶ。まったく贅沢な食生活である。

こんないいものをお腹いっぱい食べられるなんて、なんてしあわせなことだろう。


そして3日の昼、雑炊をたべた。
細切りにされた豚肉(大晦日と同じもの)が入っていて、心底美味しい。江國香織さんが自身のエッセイの中で、豚肉の脂身のことを「ぷきっとした」と書いていたが、まさにその通りだと思う。ほのかに甘く、濃厚で、でもしつこくない。まったく癖になるうまさ。

二杯目に突入したところで、年末につくった味噌だれが残っていることを思い出したので混ぜてみた。芳醇な香りが口いっぱいに広がり、これがまたたまらなくおいしい。味噌の濃厚なコク、マヨネーズのまろやかさ、ぴりりと効かせた豆板醤も絶妙にマッチ。

こんなにおいしいものを一杯でやめるのは至難の技である。すいすいと三杯たいらげ、もうこれでやめておこうと思うのに、鍋のふたが開けっ放しであることを言い訳に、気がつけばひとさじふたさじ、すくっては口に運んでいる。なんと恐ろしき雑炊トラップ。

夜は気心の知れた人とおいしいものを食べながらたのしいお酒を飲み、そのあと下宿先に戻って来ました。
改めて食べまくりやったなあ。。

 

満腹って、ほんとうにしあわせですよね。
と思っていた矢先、「まさしく!」という文章に出逢いました。


ほんとうの満腹は食べた物量の多寡ではない。腹におさめた食べものの量ではなく、胸に溜めた幸福の量なのだ。ああおいしかったと満腹感に浸るひととき、生きててよかったとほころび、やわらかな気持ちになる。

(「今日はぶどうパン」 平松洋子)

 

 

しかし、鏡を見るのがこわい。
心なしか、顔が丸くなっている。そりゃなるわ。

 

来週は成人式です。